STORY

「一つに絞れない人生でもいい」
元競輪選手・瀬谷明さんが見つけた、自分らしい働き方

瀬谷 明さん

サンドイッチ専門店 競輪選手/78期

競輪選手を引退後、日本トーターグリーンドーム前橋(前橋競輪場)のほど近くでサンドイッチ専門店「パパサンドの店 Hatopo」をオープンし11年以上。
現役選手や引退した選手、競輪ファンはもちろん、地元の方々にも愛される人気店です。

一つひとつ丁寧に作られたサンドイッチには、瀬谷さんならではのこだわりと、人を喜ばせたいという想いが詰まっています。
実際に私も取材前にお店を訪れ、サンドイッチをいただきましたが、そのおいしさに思わず驚きました。
「こんなにおいしいサンドイッチを作る元競輪選手って、どんな方なんだろう。」

そんな思いを胸に、元競輪選手・瀬谷明さん(78期)にお話を伺いました。

競輪選手になったきっかけ

─まず、競輪選手を目指したきっかけを教えてください。

たまたま家の近くに競輪選手の方が住んでいたんですよ。その方の弟さんとうちの兄が仲良くて、最初は兄が自転車に乗りたいと言っていたんですが、途中で諦めてしまって。

僕は中学校では団体競技をやっていたんですが、団体競技よりも個人競技の方がいいなと思って、高校では自転車競技を始めました。ただ、その頃は競輪選手になることまでは、そこまで意識していませんでした。高校で自転車に乗れればいい、くらいの感じでしたね。

─最初から競輪選手を目指していたわけではなかったんですね。

そうなんです。高校3年生のとき、その競輪選手の方のお父さんに練習を見てもらってたら、「競輪選手はいいんだぞ。競輪選手はいいんだぞ」って、ずっと言われて(笑)。今思えば、洗脳みたいな感じでしたね(笑)。

─それで、「競輪選手になってみようかな」と思われたんですか。

もともとは、美容師とか料理人とか、そういう仕事にも興味があったんですよ。

でも、「もし競輪学校(現:養成所)に受からなかったら、そのときにやればいい。今はとりあえず競輪をやってみたら」と言われて。それなら、ちょっとやってみようかなと思いました。

養成所は4回目で合格

─養成所へ入るまでのお話もお聞かせください。

1000メートルのタイムは良かったんですが、200メートルのタイムがなかなか出なくて、実は養成所は4回受験しているんです。

1回目に受かっていれば75期だったんですけど、一次試験や二次試験で落ちてしまって。練習を続けていても結果が出ず、「もうやりたくないな」と思った時期もありました。

3回目は半分気持ちが切れてしまって、練習もあまりしないまま受験したんですが、やっぱり結果は出ませんでした。

でも、そんな時、高校時代の仲間が先に養成所へ合格したんです。周りがどんどん前に進んでいく姿を見て、「これはまずい」と思ったんです。そこで気持ちを入れ直して、4回目でようやく合格することができました。
合格したときはうれしかったですね。

現役時代、10年以上かけてつかんだA級優勝

─現役時代で、一番印象に残っていることはありますか。

B級では比較的早く優勝することができたんですけど、A級に上がってからは2着はあっても、なかなか優勝できなかったんです。

だから、A級で初めて優勝できたときはうれしかったですね。そこまで10年以上かかったと思います。レースには群馬の選手も何人かいて、「良かったね!」って声をかけてもらいました。

─長い現役生活の中で、辞めたいと思ったことはありませんでしたか。

めちゃくちゃありました(笑)。

若い頃は自力で、先行するような走り方をしていたんですが、落車で股関節を強打してしまって。足に力が入らなくなったり、水が溜まったりして、自力で走ることが難しくなった時期がありました。いつの間にか追い込みになって、思うような走りができない歯がゆさもありましたね。

もともと身体がそれほど強い方でもなくて、ハードに練習すると熱が出たり、調子が上がってきたと思ったら落車したり。そこで、途中から頑張る方向を少し変えたんです。

─頑張る方向を変えた、というのは?

それまでは、とにかく練習して、どうすればもっと速く走れるかということばかり考えていました。

でも、自分の身体がすごく硬いことに気づいて、「身体を良くしていったら、自分はどこまで変われるんだろう」と考えるようになったんです。いろいろな治療院へ行く中で、実際に身体が大きく変わったと感じる経験もありました。

それからは、身体がどう変化していくのかということ自体が面白くなって。20代後半からは、それが競輪を続ける一つのモチベーションになっていました。

引退を決意したきっかけ

─18年間の現役生活を終え、引退を決意されたきっかけを教えてください。

40歳に近づき、「そろそろかな」と考え始めていた時期ではありました。そんな中、レース中の落車で首を痛めたんです。

その後、壊れた自転車の代わりを先輩から借りようと家を出たところ、今度は車で事故に遭ってしまって。横から車にぶつかられ、首にさらに大きなダメージを受けました。

それからは、自転車に乗って下を向いた状態で力を入れると吐き気が出たり、片頭痛が起きたりするようになりました。首元が締まる服も着られないほどで、競技を続けることが難しくなっていきました。

─引退する頃には、その後の仕事について考えていたんですか。

30歳を過ぎた頃から、競輪選手を60歳、65歳まで続けられるとは思っていなかったので、「何かやらなくちゃ」とは考えていました。

30代、40代で引退してから会社に入ったとしても、自分より年下の人が先輩になることもありますよね。自分にはそういう働き方は難しいかもしれないと思っていて、いつかは自分で何かやらなければという気持ちはありました。

サンドイッチ専門店を始めた理由

─引退後、すぐにサンドイッチ専門店を始められたんですか。

引退前から知り合いのパン屋さんで約1年間働かせてもらい、パン作りやお店のことを勉強していました。競輪選手を辞めたタイミングで、本格的に開業へ向けて動き始めました。

実は、もともとやりたかったのはジムやトレーニングに関わる仕事だったんです。でも、その頃には子どもが3人いました。ゼロからジムを始めるには設備投資も必要ですし、家族のことを考えるとリスクも大きい。

一方で、お世話になっていたパン屋さんからは「将来的に店を継いでもいいよ」と声をかけていただいていました。自分一人なら好きなことに挑戦できても、家族がいる以上、より安定した道を選ぼうと思ったんです。

─もともとパンがお好きだったんですか。

実は、お米の方が好きなんです(笑)。

それでも、やるからには中途半端にはしたくありませんでした。途中で「別のことをやろうかな」と迷った時期もありましたが、何も知らないまま始めるより、まずはしっかり知識を身につけようと思って、パン屋さんで経験を積みました。

─開業までに苦労されたことはありましたか。

苦労ばかりでしたね(笑)。何から始めればいいのか、本当に何もわからなかったんです。

この場所は妻の実家で、もともとは写真屋だったんですが、「使っていいよ」と言ってもらえて。そこから必要な機材を調べたり、展示会へ足を運んだりしながら、一つずつ準備を進めていきました。

ひたすらにパンを食べ歩いて見つけた、自分らしいお店

─お店づくりのために、ほかにはどんなことをされたんですか。

都内まで足を運んで、2日間ひたすらパン屋さんを巡ったこともありました。いろいろなお店を見て、実際に食べながら勉強していましたね。

でも、お米派なので、「なんでこんなにパンを食べているんだろう。お寿司が食べたいなぁ」と思いながら回っていました(笑)。

─パン屋さんではなく、サンドイッチ専門店にした理由を教えてください。

パン屋さんは扱う種類も多く、大きな設備も必要になります。ゼロから始めるには負担が大きいと感じていました。

それなら、一つのものに特化した方がいいんじゃないかと考えて、サンドイッチ専門店を始めることにしました。

─開業にあたって、不安はありませんでしたか。

不安しかなかったですよ(笑)。

でも、競輪選手時代の退職金があったので、すべて借金をして始めるわけではありませんでした。失敗しても元手がなくなるくらい、と考えられたことは、精神的にも大きかったと思います。

─ご家族の反応はいかがでしたか。

妻も不安はあったと思います。でも、「やればいいじゃない」と背中を押してくれました。

「ご飯のおかず」をサンドイッチに

─商品開発は、どのようにされているんですか。

パン屋さんで教わったというよりは、自分でいろいろなお店を見て回りながら考えました。料理をすることはもともと好きだったので、その経験も活きています。

商品を考えるときのベースになっているのは、「ご飯のおかずになるもの」です。おかずとしておいしいものなら、パンに挟んでもおいしいんじゃないかという発想で作っています。

─看板商品の「さばサンド」もその発想から生まれたんですか。

そうですね。さばサンドというと洋風の味付けが多いと思いますが、Hatopoではガリや玉ねぎの甘酢漬け、からしなどを合わせています。

オープン当初からあった商品ではありませんが、近くで商売をされている方から「これは本当によくできている」と言っていただいたことが、とてもうれしくて。今ではHatopoを代表する商品の一つになりました。

Hatopoを代表する人気商品「さばサンド」(写真中央) 味だけでなく食感のバランスも絶妙でした。

誰でも気軽に食べられる価格にしたい

─商品づくりで大切にされていることはありますか。

まずは価格ですね。できるだけワンコイン以内に収めたいと思っています。

子どもからご年配の方まで、誰でも気軽に買える値段にしたい。商売には向いていないって言われることもありますけど(笑)。

思わず二度見するネーミングもHatopoらしさ

─商品名も個性的ですよね。どのように考えているんですか。

ちょっとクスッと笑ってもらえるような名前を考えています。

ギリギリを攻めるようなネーミングが好きなんです(笑)。自分では大丈夫だと思っていても感覚が麻痺してくるので、家族にも「これは大丈夫かな?」と相談しながら決めています。

野菜ソムリエの資格が広げてくれた新しいつながり

─野菜ソムリエの資格を取得されたきっかけを教えてください。

サンドイッチには野菜をたくさん使いますし、もっと野菜について学びたいと思ったのがきっかけです。本当は栄養士の資格にも興味があったのですが、仕事をしながら通うのは難しくて。知人から野菜ソムリエを勧めてもらい、挑戦しました。

資格を取ってすぐに「取ってよかった」と実感したというより、大きかったのは、その後の人との出会いでした。群馬県の野菜ソムリエコミュニティに参加したことで、生産者の方々やさまざまな分野の方とのつながりができ、新しい食材や季節の野菜について教えていただく機会も増えました。

資格を通じて広がったご縁は、今のお店づくりにも活かされています。

競輪選手だったからこそ生まれたご縁

─競輪選手時代の経験が、今に活きていると感じることはありますか。

たくさんありますね。

現役時代はあまり話す機会がなかった先輩方がお店に来てくださるようになって、「こうした方がいいよ」とアドバイスをいただいたり、励ましていただいたり。本当にたくさん助けてもらいました。

自分より先に競輪界を引退された方から、その後の経験を聞かせてもらうこともあって、とても心強かったですね。

─競輪選手を経験していて良かったと感じることはありますか。

人見知りな性格なんですが、人前で話すことへの抵抗は少なくなったと思います。

現役時代は前検日インタビューなどもあって、最初は何を話せばいいかわからず苦手でした。でも、そうした経験を重ねたことで、今こうして取材を受けたり、お客様とお話ししたりすることにも自然と向き合えるようになりました。

競輪選手を経験していなければ、今の自分はなかったと思います。

─サンドイッチ専門店を始めて、一番うれしかったことは何ですか。

競輪選手や競輪ファンの方がお店に足を運んでくださることですね。群馬だけではなく、西日本など遠方の選手が立ち寄ってくださることもあって、本当にありがたいと感じています。

そして何より、お客様から直接「おいしかったよ」と言っていただけるのは、やっぱりうれしいですね。作ったものに対して、その場で反応をいただけることは、この仕事をしていて良かったと思える瞬間の一つです。

競輪選手時代から続く、身体への探究心

─現在は、サンドイッチ専門店だけでなくボディケアのお仕事もされているそうですね。

はい。Hatopoは午前中がメインなので、午後の空いている時間を使って、ボディケアの仕事もしています。

競輪選手時代から身体のことにはずっと興味があって、「身体を良くしたら、自分はどこまで変われるんだろう」といろいろ試してきました。その興味は引退した今も変わっていません。

今はボディケアだけでなく、一本下駄を使ったトレーニングを教えたり、身体に関わることをいろいろやっています。

─さらに、オリジナルの枕も開発されているそうですね。

そうなんです。去年、自分で身体に良いものを集めたイベントを開催したんです。
そのとき、群馬で枕を販売されている会社に「よかったら出展しませんか」とお声がけしたことがきっかけで知り合いました。
話をする中で、「オリジナルの枕も作れますよ」と言っていただいて、「それならぜひ作りたいです」とお願いしたのが始まりです。

試作品を何度も作って、自分で寝てみながら、高さや素材を変えたりして試行錯誤しています。

一つ作ってみても、「もう少しこうした方がいいかな」と思って作り直したり、前の形に戻してみたり。気づけば試作品の枕がどんどん増えてしまって(笑)。

自分が寝るために枕を作り始めたのに、いろいろ試しすぎて、どの枕で寝たらいいのかわからなくなって眠れなくなったこともありました(笑)。

競輪選手時代から続く「身体への探究心」から生まれたオリジナル枕「首休(KUBIYASUMI)」

「一つに絞れない自分でもいい」と思えた瞬間

─サンドイッチ専門店、ボディケア、一本下駄、枕の開発と、本当にさまざまなことに挑戦されていますよね。

昔から、「一つのことを極めなさい」と言われることが多かったんです。競輪選手時代もそうでしたし、お店を始めてからも、経営者の方々に「まずは一つを突き詰めてから、次に行った方がいい」とよく言われていました。

だから、自分も「一つのことをずっとやっていかなくちゃいけないんだ」と思い込んでいたんです。

─その考え方が変わるきっかけがあったんですか。

あるとき、キングコングの西野亮廣さんの講演会へ行ったんです。そこで、「一つに絞れない人もいる。それもその人の個性なんだ」というようなお話をされていて。

それを聞いた瞬間、「おっ」と思いました(笑)。

自分も一つには絞れないし、こっちもやりたい、あっちもやりたい。でも、それも個性ならいいんじゃないかと思えるようになって、すごく気持ちが楽になりました。

「これでいいんだ」「こんなことを考えてもいいんだ」と思えるようになってからは、興味を持ったことに素直に挑戦できるようになりましたね。

新しい挑戦は、まだまだ続く

─今後の目標や夢を教えてください。

自営業をやっている以上、競輪選手だった頃と同じくらいではなく、それを超えて「辞めてよかった」「自営業をやってよかった」と思えるようにしたいですね。

本当は50歳になる頃には、お店を少し人に任せられるようになって、自分にはもう少し余裕があって、というイメージを持っていたんです。でも、気づけば51歳になっていました(笑)。

なので、今度は60歳までにそういう形にできたらと思っています。いろいろ考えている時間も楽しいんですよ。

─最後に、今を頑張っている選手たちへ、瀬谷さんからメッセージをお願いします。

もし時間やお金に余裕があるなら、興味を持った資格や勉強には挑戦してみるのもいいと思います。自分も、時間やお金が許されるなら、興味を持った資格はいろいろ取ってみたいと思っています。

資格を取ったからといって、すぐに「取ってよかった」と思えるものばかりではありません。自分も野菜ソムリエの資格を取得しましたが、それ以上に大きかったのは、その後に出会った人たちとのつながりでした。

資格や勉強は、それ自体がゴールではなく、その先でどんな人と出会って、どんな世界が広がっていくのか。そこが面白いんだと思います。

だから、少しでも興味を持ったことがあれば、まずはやってみるのもいいんじゃないでしょうか。そこでできた出会いが、後になって大きな財産になることもあると思います。

インタビューを終えて

「人見知りなんです」「お米の方が好きなんです」と笑いながら話す瀬谷さん。その飾らない人柄と、興味を持ったことに素直に向き合い、人とのつながりを大切にしながら、一つひとつ形にしていく姿がとても印象的でした。

競輪選手、サンドイッチ専門店、野菜ソムリエ、ボディケア、一本下駄、そして枕の開発。一見すると別々の挑戦のように見えますが、お話を伺っていると、その一つひとつがこれまでの経験や人との出会いをきっかけにつながり、少しずつ広がってきたんだなと感じました。

「一つに絞れなくても、それも自分の個性」。そう思えるようになった瀬谷さんは、今も自身の興味に素直に、新しいことへ挑戦し続けています。

Tキャリ事務局一同、瀬谷さんの今後のご活躍を心より願っております。

瀬谷明さん プロフィール

1996年8月8日デビュー(群馬・78期)
★現役生活18年 通算成績166勝
2014年11月6日に惜しまれつつ引退
現在は群馬県前橋市にてサンドイッチ専門店「パパサンドの店 Hatopo」を開業

掲載日:2026年8月19日
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