藤井 克信さん
Tキャリが、アスリートの皆様に伝えたいメッセージを自らの人生で証明している人物のひとりが、元競輪選手の藤井克信さんです。
彼は、競輪選手として学んだ「勝ち方」や「探求心」を、ハウスクリーニングという新たな事業に昇華させ、顧客の信頼を勝ち取っています。 なぜ、アスリートの経験は他の業界でも通用するのか!? その真相に迫ります!
――選手になったきっかけと、現役中に抱いていた将来のイメージを教えてください。
実家が営んでいた中華料理屋が松戸競輪場の近くで、その常連さんから「兄ちゃんいい体格してるから、絶対競輪選手なった方がいいよ」ってよく言われていたんですが、年頃になってきた時に、自分でもスポーツで食べていきたいっていう思いが強くなってきまして。
それで、知人から師匠 (高橋洋一さん)を紹介してもらったのがきっかけです。
師匠は本当に教え方が上手なんですよね。人の気持ちを読むのがうまくコーチや監督向きっていうか、指導者としてすごく長けている方だと思います。自分も師匠 (高橋さん) じゃなければ選手になれなかったと思うので、本当に感謝しきれないぐらい感謝していますね。
――プロ選手になった(目指した) きっかけは?
元々は高校を卒業したらコック (料理人)になろうと思ってたんです。でも、3ヶ月くらいで挫折しちゃって(笑)
小学生の頃に友達と公園で自転車レースをよくやっていたんですが、いつも勝っていたんですよ。そんな記憶もあり、競輪選手になれば稼げそうだし、体力には自身があったのでなんとかなるだろうって思ったのがきっかけですね。
でもそんなに甘くなかったんですけどね(笑)
――選手時代、最も苦しかった時期と、それをどのように乗り越えたかを教えてください。
S級からA級選抜回りになって(競走得点) 85点くらいまで歯止めが効かないくらい落ちた時期 (37、38歳頃)が苦しかったですね。当時、後輩の須永啓嗣(ひろし)に「伊藤さんのところに一緒に行きませんか?」って誘われたんですよ。
競りのレジェンド的存在だった伊藤公人さんに憧れていて、伊藤さんみたいに自分もなりたいという気持ちが強かったのもあり、頭を下げて伊藤グループに入門させて頂きました。
――選手時代の思い出、記憶に残っていることや最も達成感を感じた瞬間など。
4年連続で呼んで頂いた大宮記念で、平原康多君、伊藤公人さん、自分が3番手で、あの神山雄一郎さんが4番手を固めてくれたレースがすごく緊張したし、S級1班の点数も取れたので強烈に記憶に残っています。
達成感といえば、ちょうどS1の点数を取ったその頃、伊藤 (公人)さんと2人で車に乗る機会があって、その時に普段あまり人を褒めることのない伊藤さんが、ボソッと「藤井、頑張ったな、よくやったな」って言ってくれたんです。
伊藤さんにやっと認めて貰えたという想いから、嬉しさのあまり突然涙が溢れ出て来たその時の思い出が、選手人生の中で1番達成感を感じた瞬間で、今でも鮮明に覚えています。
――選手人生で今だから言える「失敗」や「後悔」はありましたか?
39歳になってからS級1班取ったりとか、遅咲きの人生だったから後悔がないわけではないんです。でも終わり良ければ全てよしじゃないですけど、自分が目標としてきたことを達成できて、夢を掴んだつもりではいるので、そういった意味で後悔はないですね。
普通の人では味わえないすごくいい経験をさせてもらったなっていうのは感じています。
――ケガでの長期欠場で約一年、その後も復調せず、突然の引退を余儀なくされた?
ちょうどその時厄年で、練習中のケガだったんですけど、鎖骨と肋骨数本の骨折をした時に、全身麻酔の手術をするので一緒に古傷のくるぶしも手術したんです。でも術後、地に足がつけない程の痛みを感じ、最手術で切開して骨を移植して・・・
それで2、3か月も石育で固めていたので、足が細くなってしまい、左右差もひどくて。
復帰して練習始めたら、以前と全然感覚が違うんですよね。それでも頑張ってやってたんですけど、思うように走れなくなったっていうのが気持ちの引き金になったのかな。
そんな時に後輩からうちのうどん屋を手伝ってくれませんかって声が掛かりまして。すごく悩んだんですけど1週間くらいで引退を決断しましたね。
突然だったので、周りもびっくりしてましたけど、ケガが多くなってきたし、もう潮時かなって。まだ余力のあるうちに辞めて、次の世界でまた花を咲かせられたらなっていう気持ちはありましたね。
——選手時代、セカンドキャリアについて考えるタイミングはありましたか?
毎日全力で強くなることしか考えてなかったんですけど、そういう時って突然来るんだなってケガした時に思いましたね。
みんな遅かれ早かれそういう時期は来ると思うんですけど、自分は、考えたらそっちに引っ張られちゃうんじゃないかなっていう怖さもあったんですよ。
なので、増茂(るるこ)さんや戸ノ下太郎くんは、(デュアルキャリアで) すごいなって思います。色んな声があると思うんですけど、いざという時に頼りになるのはやはり自分自身なので・・・
自分も先々を見据えてそういうふうに出来ていれば、本当はよかったんでしょうけどね。
——先に引退を迎える先輩や同期の姿を見て、当時どのように感じていましたか?
競輪の売上が下がっていた時に、まだできるのにもったいないなっていう人は正直多かったです。続けたくても続けられない状況の方々もいて、自分もその最中にいた一人として、ちょっと複雑な心境でしたね。
選手になったら一生安泰だと思っていたのに、誰にも予測できないほどの景気の浮き沈み (外的要因) みたいなことが起こるなんて。
だったら現役中に自分がやりたい方向性を見つけて資格を取るっていうのもありなのかなって思います。自分の周りでも誠灸や宅建など、資格の勉強してる人結構いましたよ。
すごいなぁ、自分はこれでいいのかなぁって思いはありましたけど、自分は器用な人間じゃなかったので。
——実際に引退したあと、不安は感じてましたか?
はい、感じてました。飲食店での独立を目指して日々頑張っていましたが、毎月赤字で相当苦しい時期もあって、少し路頭に迷ったことはありましたね。
――競輪選手時代から変わらない、大切にしていることはありますか?
伊藤公人さんのグループに入門して、競りの技術、勝ち方をみんなから教えてもらったんですけど、きっと道は開けると信じ、絶対に諦めないという強い気持ちで日々精進して、やっとその技を掴んだ瞬間を今でも鮮明に覚えています。
その貴重な経験は、競輪だけでなく違う職業でも活かせると思うし、「また絶対に道は開けると信じて、諦めない」という信念を今でも大切にしています。
――もし現役時代の自分にアドバイスできるとしたら、何を伝えたいですか?
「目標を明確にし、期限をつけて効率よくやれば、遠回りすることなく目標を達成できるかもよ」ってアドバイスをしてあげたいですね。
――異業種への挑戦、ビジネスマンへの転換でご苦労された点は?
仕事内容というよりは人で苦労しましたね。
自分がどんなに謙虚に振舞ったとしても思いも寄らない事が起こったりするので、自分を殺すのが物凄く大変な時期がありました。でも、それを乗り越えなければならないのが現実です。
引退後、飲食店を3軒経験しましたが、コロナもあり飲食は厳しそうだと感じて、50歳の時におそうじ本舗に就職。
それから1年くらいした頃に、ハウスクリーニングで独立している同級生と再会したのをきっかけに、その下請け業をスタートしたんですが、SNSでビフォーアフターの投稿をしていたところ、だんだんと仕事の依頼が入ってくるようになり、会社を立ち上げることになりました。
――新しいビジネスを始めるにあたり、特に重視したポイントは?
ポイントは、一番気になっている場所をお客様に聞くこと。それ以外の場所をいくら綺麗にしても一番気になっている場所が納得出来なければ、お客様からの評価は半分にもいかないからです。
お客様が在宅の時は、その表情や声のトーンで反応が満足の度合がダイレクトに分かりますので、作業と接客態度には細心の注意を払い、次の依頼にも繋がるよう心掛けています。
おかげで、これまで大きなクレームもなく、あったとしてもピンチをチャンスに変えるじゃないですけど、真摯に対応することで、逆に仲良くなったりすることもあります。
あとハウスクリーニングのいいところは、開業資金が飲食店ほど高くないところでしょうか。道具さえ揃えてしまえば、食材と違って腐らないし、あとは人件費だけですから。
——会社名 「TASUKARU」込められた想いや理念について教えてください。
普段の会話で「助かる」っていう言葉が出た瞬間に、「あそこに頼もうか」みたいな感じで弊社のことを思い浮かべてくれたらいいなっていう想いがあります。
もともと人助けや、喜んでもらうことがすごく好きなので、いずれは、ハウスクリーニングに限らず、高齢化社会の中で困っている人たちのお役に立てたらいいなという想いが込められています。
——競輪選手時代の経験、培った能力は、今どのように活かされていますか?
競輪で学んだ「勝ち方」を、違う職業でも当てはめればいいだけだと思っています。これまでの経験を思い起こして、腐らず、諦めず、試行錯誤しながらやっていくっていうのが、秘訣だと思いますね。
——選手時代と比べて、今の仕事で感じるギャップはありますか?
選手時代から、いい仲間がたくさんいて、そういう人たちに支えられてきた状況は、今でも変わらなくて。
なので、競輪と比べてもハウスクリーニングの仕事を嫌だと感じたこともなく、ギャップも一切ありませんね。
——生き残るため、同業他社との差別化ポイントは?
挨拶と接客態度はもちろんのこと、サービスでの付加価値を必ずつけて、お客様の満足度に貢献する努力を惜しまないように心掛けています。また、「スピーディ」 「魅せる」という観点も大切にしています。
——競輪選手時代とビジネスマンの両方を経験して得た教訓や感じることは?
何の仕事でも探求心や向上心の気持ちを忘れずにいることは、ただ漠然と作業するのではなく、スピーディかつ綺麗に仕上げることができるかっていう点で、ハウスクリーニングにも活きているのかなって思います。
——「元選手」という肩書きや人脈を活かす機会はありましたか?
元競輪選手であることを伝えると、かなりの確率で興味深く色々聞いて来てくれますし、そこから仕事に繋がった事は何度もありますね。
——今の仕事でやりがいを感じるのはどんな時ですか?
お客様が喜ばれている姿を見た時や、「助かった」 と言って頂いた瞬間ですね。
お客様の立場に立ち、喜んでいる顔を思い浮かべながら作業をしていますので、その対価でお金を頂けるとあって、毎日が充実しています。
私は、選手時代からずっと「お金は後からついてくる」ものであって、お金が先に立っている人は、なかなか大成できないのではないかと感じています。
仲間を裏切ることなく連携して勝って、次のステージに行く。そんな気持ちで、名刺代わりの「横の技」を磨き勝てるようになり、その結果S1に上がることも出来ました。
そんな気持ちがすごく大事だと思うんです。それは今でも変わりません。
——今後の展望、会社や個人として挑戦したいことは?
会社は法人化していて、定款には多くの事業目的 (職種)を盛り込んでいます。なので、この事業が成功したら今までの経験を活かして、今までやってきたことを繋げていきたいという思いはあります。
これまで大好きな料理をきっかけに、たくさんの飲食店を経験してきました。その延長線上で今の仕事 (ハウスクリーニング)に至ったということもありますので、いつかまた、そこ(飲食の世界)で人に喜んでもらうようなことができればいいなって、夢は持っています。
——ご自身の経験をもとに、一歩踏み出すコツや覚悟について教えていただけますか。
自分もそうですが、人間切羽詰まらないと中々出来ないものです。痛い目に遭ったり、どん底に落ちたり・・・そんな時こそ落ち込まずに、「自分が唯一変われる瞬間」のチャンス到来だと思ってください。
そこで必要なのは、腹を括る勇気だけです。死ぬ気で行けば何でも出来る、私はそう思っています。
——若い世代へ前向きに歩むためのメッセージをお願いします。
とにかく最高のパフォーマンスを出し切れるよう、日々全力で努力してください。突然の怪我や病気で、セカンドキャリアを悩んでいる方も少なからずいると思います。
セカンドキャリアをサポートしてくれる「Tキャリ」は、自分が現役の頃にはありませんでしたが、とても心強い存在ですね。悩んでいらっしゃる方は、まずは初めの一歩として相談してみてもいいかと思います。そこから、自分にあった会社を訪ねてみることで、いい方向が見えてくるかもしれません。
もちろん弊社、株式会社TASUKARUもハウスクリーニングの仕事をしてみたいという方がいましたら、喜んで協力させていただきます。
その時は、全力でサポートできる体制を整えておきますので、気軽に尋ねてください。
くれぐれも怪我には気をつけて、皆さまの更なるご活躍を心から願っております。
なぜ、アスリートの経験は他の業界でも通用するのか———
そこには、目標達成への思考プロセスや、逆境を乗り越える精神力といった普遍的な強さが存在するからではないでしょうか。
藤井さんの言葉から、あなた自身のキャリアという財産を再発見し、未来を切り拓くための「戦術」を学び取って頂けたなら幸いです。
藤井克信さん プロフィール
1971年1月1日生(取材当時54歳)
1994年8月6日
23歳で競輪選手デビュー(東京・74期)
2014年5月2日
43歳で引退(選手生活19年9か月)
通算1471戦145勝、優勝7回
現在は、ハウスクリーニングの株式会社TASUKARUを経営