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元プロサイクリストのワイン物語――
「誰かが通った道があるなら、やる気さえあれば出来る!」

飯島 規之さん

ワイナリー 競輪選手/64期

元競輪選手の飯島規之さんは、未経験のワイン造りへの挑戦をそう振り返る。自転車の乗り方を覚えるように、どんな道のりにも最初の一歩がある。その当たり前の事実に、私たちはつい臆病になってしまう。この記事では、自転車競技とワイン造りという、一見全く異なる2つの世界に共通する「成功へのプロセス」に迫ります。

――自転車競技選手としても長きにわたりご活躍されていますね。自転車の魅力とは?

やっぱり、人間の力、自分の身体や筋肉だけでスピードが出せるっていうのが、自転車の魅力だと思うんですよ。風を感じることができるスポーツだし、爽快感も得られますしね。

――プロ選手になった(目指した) きっかけは?

元々は高校を卒業したらコック (料理人)になろうと思ってたんです。でも、3ヶ月くらいで挫折しちゃって(笑)
小学生の頃に友達と公園で自転車レースをよくやっていたんですが、いつも勝っていたんですよ。そんな記憶もあり、競輪選手になれば稼げそうだし、体力には自身があったのでなんとかなるだろうって思ったのがきっかけですね。
でもそんなに甘くなかったんですけどね(笑)

――選手時代の目標や記憶に残っている思い出は?

一番記憶に残っているのは、やっぱり初めてで唯一の優勝した時のレースですね。
あとは、(大差で) ぶっ離れた引退レースも、記憶に残っています(笑)

――選手時代、最も苦しかった時期は?(どのように乗り越えましたか?)

花が咲くか咲かないか、数年もすれば見えてくる。30歳くらいの時には、先が見えてしまい、高みを目指すような状況じゃなくなってしまったというか・・・
そうすると向上心もなくなり、プロ選手として何やってんだかって感じでした。幸い、(競りのない) 追抜きとか自転車競技の方は強かったので、そっちの方も頑張ってみようという意識になりましたね。
地区プロから全プロ、そこで優勝すると世界戦というご褒美がついてくるみたいな感じでしょうか。
競輪やりつつ、より輝ける自転車競技でオリンピックを目指すみたいな方向にシフトした感じですね。

――引退を決意したきっかけは何でしたか?

競輪の売上が下がっていた時期に、粉砕骨折の大怪我で2週間くらい寝たきりになってしまい、復帰はしたんですけど、やっぱり難しかった感じですね。
人間の体って、あっという間に衰えるんですよ。病室からトイレまでの10メートルくらいを1時間がかりで戻ってくるくらいに筋力が衰えてしまって。
宇宙飛行士が宇宙から戻ってきた感じと似てるかもしれませんね。

――選手時代にセカンドキャリアについて考えたことはありましたか? (不安は?)

次のレースに向けてトレーニングして、仕上げていくって感じだったので、そんなにはなかったですね。さすがに60過ぎても選手続けていられるとは思ってませんでしたが、具体的にどうっていうのは描いていませんでした。
考え始めるとキリがないので、あえて深く考えないようにしていた、というのが正直なところですね。

——選手時代から将来を見据えた投資や学び、活動などはありましたか?

株とかは、ちょっとやったりしてましたけど、投資というよりかは結構競輪 (予想) に近い気がしますね。
でも競輪よりは、より正確な判断材料が多いので、確率は高いんじゃないでしょうか(笑)

——競輪選手時代から変わらない「勝負の哲学」や大切にしていることはありますか?

哲学って言われるほどではないんですが、「日々、その時のベストを考え、行動する。」
過去を振り返っても仕方ないし、逆に未来を見すぎてもしょうがないですからね。今だからこそベストを尽くすという生き方。これは選手時代からずっとですね。

——移住の覚悟を決めて、ワイン醸造家になろうと決意したきっかけは?

引退して『じゃあ何をしようか』って考えた時、最初は農業でいいかなと思ったんですよ。単発の野菜より、複数年の果樹のほうが・・・みたいな感じで考えて行く中で、ワインに がったのは海外レースの経験が大きいですね。
向こうの主催者が、ウェルカムパーティーとか開いてくれるんですけど、乾杯は全部ワインなんですよね、スパークリングとかシャンパンとか。しかも、むこうではF1みたいにシャンパンファイトがあったりするわけですよ。
そんな『楽しい時に飲むものだ』っていうイメージが強い 「ワイン」をやってみたいなって、ふと思ったんです。じゃあどうしたらいいのかなって調べていくうちに、なんとかできそうだぞと分かってきた。
ワインって、人を惹きつける科学では証明できない何かがあるんですよ。それに吸い寄せられちゃって、どんどんその深みにはまっていった感じですね。

――大きな決断だったと思います、ご家族の理解や周囲の反応、サポートはどうでしたか?

ワインを造るには、それが一番の近道だと思ったので、自分としては普通の選択だと感じていました。ただ妻はかなり反対でしたね、埼玉に住んでいましたから。
最初に長野の農業大学に入ったんですが、最初の1年は県が用意してくれた寮施設で一人暮らし、その翌年に「もう俺の気持ちは変わらないから、こっちに来い」って妻に言って来てもらいました。

――農業大学校での学びや、玉村豊男氏への師事など「ゼロからの学び」を振り返ってみてどうですか?

もうやるって決めていたので、これはそのためのステップだと思っていました。別にゼロから始めることになっても大丈夫だよなって思っていました。
そもそも、自転車を始めるときも愛好会を訪ねていったその日に、大宮のバンクでフェンスに激突して、ケガしたんですよ。その時の担当者さんに
「君はセンスがなさすぎるから、選手になるのはやめたほうがいい」って初日にはっきり言われました(笑)
でも自転車も誰だって最初は乗れないじゃないですか、それが当たり前。世界チャンピオンだって最初はそう。
誰かが通った道があるなら、やる気さえあれば出来るだろうと考えていたので、特に不安はなかったですね。

――ワイン造りの世界に入って初めて知った「難しさ・深さ」と「魅力」とは?

競輪には厳密な規格やルールが存在しますが、ワインは、年やブドウによって全然変わっちゃうものなので、統一規格がないんです。
自転車に例えるなら、一輪車でもいいし、ママチャリでもいいみたいな感じで、すごくアバウトなんですよ。
コーラみたいに決まったレシピがあるわけじゃないので、極端な話、誰でも『これがワインです』って言えば成立しちゃうみたいな。そういう意味では難しくないんですよ(笑)
ただ、深さや魅力はそこにあって、他にはない特別な魅力を持っているのがワインなんです。だからこそ、遠く県外から多くの方が収穫ボランティアに来てくれるのではないかと思うんです。
収穫して、ワイン買って、ホームパーティで「私が摘んできたブドウなのよ」って自慢げに友人に振舞って。
今度は、その友人たちが買いに来てくれる・・みたいな循環が起きたりもする。みんなを笑顔にするワインって本当にすごいと思います。

――異業種への挑戦、しかも自然相手という要素もありますが、特に苦労した点は?

苦労は散々しましたが・・ただ、自然が相手っていう点では、選手時代と似たようなところが結構あるんです。
競輪って自分が強くても、例えば強い選手同士がぶつかり合えばどちらかが負けるもので、番組の組み方とか、強豪、ライバルの急な欠場とか、その日の運にも左右されるので、強いから必ず勝てるわけではない。
そいう意味では、自然も同じでコントロールできない部分があり簡単に裏切ってくれる 懸命やってたのにってね。
一種の「あきらめ」みたいなものは競輪も自然も一緒かなって感じています。

——競輪選手時代の経験、培った能力が、ワイン造りや経営決断時に役立ったエピソードは?

それは、ものごと全部一緒だと思うんです。例えば、自転車競技でオリンピックを目指すなら、ステップを積み重ねていく。
「今、これをやる」 「2か月後はこれ」って、細かいワイン造りも同じで、小さな積み重ねなんですよね。だから異業種と言っても、やっていることは一緒なんです。
パズルの絵柄は違ってもピースを組んで完成形にすればいい。そういう感覚です。

——「シクロヴィンヤード」という社名、「496」に込めた思いは?

「シクロ」はフランス語で自転車、「ヴィンヤード」はブドウ畑です。あまり過去を引きずるタイプではないんですけど、ここでは過去の経験を出したほうがいいかと思って。正直、マーケティング的には全然良くないんですよ(笑)
「シクロ」は読みにくいし、「ヴィンヤード」も発音が難しい。ただ「こういう意味なんですよ」って知ってもらうところまでいけば、一つのストーリーになりますよね。
「シクロ」を当て字で「496」にしたんですが、日本語だと「始終苦労する」みたいで、かみさんの反対もありました。
でもギリシャだと「496」は完全数で神秘的な数字だということでOKがでた感じです。

——法人設立から「シクロヴィンヤード」 (496ワイナリー) オープンまでの約1年半のご苦労は?

補助金を受けるには法人形態にする必要があったので、まずは会社を作りました。問題はそこからでしたね・・・
特に感じたのは、「元アスリート」の肩書では信用がない分、審査がすごく厳しいということです。本当に、ものすごい数の人が書類をチェックするんですけど、そのやり取りに時間を費やしました。

——他社との差別化ポイント、そして評判はいかがですか?

今も多くのワイナリーが誕生する中で、差別化は意識するところですね。
幸い、日本国内では恵まれた栽培環境にあり、山梨の大手ワイナリー数社も実はトップクラスのものについては、長野で収穫しているくらいです。そこが大きな差別化ポイントになってはいるんですが、それを広めるのが難しいという課題に直面している感じです。

——すばり、今の仕事で最もやりがいや充実感を感じるのはどんな時ですか?

お客さまが「美味しい」って言ってくれる時ですね。
「宿泊したホテルの夕食で飲んだら美味しかったから、 買いに来ました」みたいな感じで、わざわざ遠くから来てくださる方もいて。
ワインって結構狭い世界で、スクールに通っている人たちの繋がりなどもあったりするんですよね。ありがたいことに品のいいお客さまが多いんですよ。おかげ様で買う側も売る側も、お互いウィンウィンで両方がいい思いができています。

——「元選手」という肩書きの活かす機会 (ブランディングなど)はありましたか?

全然知られていないワイナリーだから、少しでも覚えてもらうためには特色を出さなきゃいけない。だから、あえて元選手であることをアピールしていますね。
そのおかげで新聞やテレビに取り上げてもらえることが多い。異業種からの転身というのが、メディアにとっては面白いんでしょうね。マンガ 「マリアージュ神の雫」にも掲載していただきました。

——昨年(2024年)は、小説『ヴィンヤードに吹く風』を出版。執筆の経緯や、伝えたかったメッセージは?

これも「異業種の人」扱いで、メディアが取り上げてくれる。そういう意味では、使えますよね。
元々、私のことをマンガ化したいってオファーにはじまり、 余曲折あって小説化しようって話しになったんですが、納得いくものが上がってこない。じゃあ、自分で書いちゃうしかないなって思ったんです。
自転車もワインもヨーロッパではとても身近でメジャーなものなんです。そんな世界を広く知ってもらいたいと思ってね。
でも大失敗、小説自体が広がらないから、誰も知っている人がいないという (爆笑)

——今後の展望(ビジョン)や挑戦したいことは?

現状維持ですね。ただ「継続は力なり」だと思っています。
ワインには規格がないとお話ししたように「ゴール」っていうものがないんですよ、毎年造り続けていくものだから。
僕は自分で全部やりたいタイプで、造る過程を楽しみたいんです。
だからこれ以上ワイナリーを広げて、誰かに任せたいとは思っていないんですよね。

——セカンドキャリアで農業の分野を考えているアスリートにアドバイスするとしたら?

農業を考えた時点でもう向いているかもしれないですよ。
家庭菜園や植物に興味がある人は、そこに しや生きがいを感じられる人だから、地道な作業も辛くないはず。
「(次は) 農業かな?」って少しでも感じられたのなら、一度やってみてもいいと思いますね。
この仕事って、常に緑に囲まれていて本当に癒しになるんですよ。組織や人とのしがらみがなく、心理的ストレスも少ない職業だと思うので、向いてる人にはすごくいい仕事だと思います。
食料安保とかにも関わってくるけど、 国の(公的な) 支援や補助金などもありますので、飲食店の方がよっぽど難しいと思いますよ。

インタビューを終えて

飯島さんが自転車レースの世界で培った「細かいステップを積み重ねる」精神は、ブドウ栽培やワイン造りにも見事に活かされています。
その言葉や行動の随所には、「今を丁寧に生きる」ことの大切さと、「変わることを楽しむ」心があふれていました。
選手時代とは違うフィールドで、もう一度夢中になれるものを見つけた姿は、多くの人の心に希望の風を届けてくれるはずです。
アスリートとしての経験は決して無駄にならない。それどころか、まったく異なる分野でも、その精神性や姿勢は大きな武器となる・・・
セカンドキャリアとは、きっと新しい自分に出会う旅なのかもしれません。飯島さんが「496ワイナリー」で造り出すワインには、そんな人生の知恵と挑戦の軌跡が息づいています。
ぜひ一度、ミシュラン☆☆獲得店でも採用されたその確かな品質を味わってみてはいかがでしょうか。

飯島規之さん プロフィール

1966年4月15日生(取材当時59歳)
1988年05月08日
 22歳で競輪選手デビュー(埼玉・61期)
2010年09月
 病気の落車(ケガ)の影響で長期欠場
2012年01月10日
 45歳で引退(選手生活23年8か月)
 通算1825戦152勝、優勝1回
2012年春
 ワイン造りを志し、埼玉県から長野県へ移住。長野県農業大学校研修科(小諸)にて農業経営を学ぶ。玉村豊男氏(ヴィラデストワイナリー創業者)に師事し、ワイン造りについて学ぶ。
2017年11月
 法人設立「シクロヴィヤード株式会社」
2019年03月
 東御市にワイナリーショップ「シクロヴィンヤード」(496ワイナリー)をオープン
2024年04月15日
 小説で知るワインと自転車のトリセツ 『ヴィンヤードに吹く風(上)』を出版 (銀河書房)

▶ 自転車競技選手としての経歴

長年にわたり日本の中距離走種目の第一人者として活躍
2008年
 世界選手権自転車競技大会・マスターズ部門、3km個人追抜 (40歳-44歳の部)で優勝
2009年
 同種目の同年齢部門における世界記録 (3分27秒826) を樹立
2009年
 43歳にして全日本自転車競技選手権大会・4km個人追抜で優勝
 同年 全日本プロ選手権自転車競技大会の同種目でも優勝

【主要国際大会での実績】

1998年
 アジア競技大会 (バンコク) 個人追抜2位
1999年
 アジア選手権 (前橋) 個人追抜3位
2000年
 世界選手権 (マンチェスター) 個人追抜 8位
2001年
 UCIトラックワールドカップクラシックス第5戦 (マレーシア・イボー) 個人追抜2位
2001年
 世界選手権 (アントウェルペン) ポイントレース8位
2002年
 アジア競技大会 (プサン) 個人追抜3位、ポイントレース 3位

掲載日:2026年1月29日
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