
金網の向こう側へ~元競輪選手が紡ぐ新たな"輪"の物語~
走り終えたゴールの先へ!元競輪選手が見つけた第二の夢とは?
元競輪選手の池端 将巳さんは、引退後に調理師学校に通い、ラーメン店の店主として競輪場に帰ってきました!
今回は、たくさんの"輪"が織りなす池端さんのセカンドキャリアにフォーカスを当て、
競技人生から新たな挑戦への転機、ラーメン店経営の喜びと苦労、そして今後の展望など、
「弥彦競輪場発、至福の一杯」その裏側に迫ります!
◆池端 将巳さんのプロフィール◆
1997年4月 21歳で競輪選手としてデビュー 79期・新潟所属
通算成績は149勝、優勝11回、選手生活19年を経て、2016年に41歳で引退。
現在は、弥彦競輪場内ラーメン店「輪・WA」を経営しながら、競輪解説者としてもご活躍されています。

―――まずは、選手時代の思い出をお聞かせください。
そんなに強くなかったので、デビューしてすぐに先行から追い込みに変えたんです。
そのきっかけをくれたのが稲村雅士さん(16期・群馬王国の一翼を担い2002年当時59歳で引退)と群馬の選手達なんです。
自力勝負を続ける自信がなくなっていた時、弥彦で一緒になった雅士さんに「僕、実際は追い込みなんです」と伝えたんですが、
それでも群馬勢が、後ろについてくれたので、気合を入れて臨みました(笑)
結果は、外競りからのワンツー1着。その時、まだいけるかもしれないと思い直しました。
あとは、地元の弥彦で誕生日に優勝できたことですね。
3年ぐらい勝てない時期があり、肉体改造に取り組んでいたんですけど、たまたま弥彦の最終日が誕生日に重なる開催がありまして、気合いをいれて挑みました。結果、流れも展開もよくて優勝、これが1番の思い出です。
やっぱり目標を実際に見える化して、それを意識するということが大事だと思いましたね。
―――引退を意識しだしたのは?
以前は、退職金などの共済制度がしっかりしていたんですが、今は無くなってしまった。
それをきっかけに、まず家族を守るためという観点から引退したらどうすればいいのかを考えましたね。
―――同じような不安を抱えている方もいらしたのでは?
同級生にも相談したんですけど、私には出来ることが何もないわけですよ。
考えた結果、やっぱり60歳くらいまでは選手続けないとダメなのかもしれないと思ったのですが、現実問題として、肉体的な限界もあるし、ケガもある。
何も考えられないんですけど考えなくてはいけない、思ってはいたけど行動には移していなかった、そんな感じでしたね。
引退のきっかけとなったのは、A級3班に落ちたことでした。
代謝争いでまず精神的にやられることが、自分には絶対耐えられないので、70点を切ったら引退しようと考えました。
それくらいプレッシャーを与えて走っていたんですけど、実際は1期目で70点を切ってしまったので、そこでスパッと引退を決めました。

―――引退後の生活設計について
引退を決めた後、1ヶ月で次の進路を考えました。
叔母が経営している居酒屋があったので、まずはそこで修行しようと甘いことを考えていたら、その前に閉店が決まってしまった。
その時、叔母から調理師学校を勧められて、調べたら丁度募集中だったので、すぐに面接にいき入校、それが2016年のことです。
実際に包丁を握ったのは35歳ぐらいで、特に料理が好きだったわけではないんです。
それでも、お酒が好きだったんで自分でつまみを作ったり、家で集まりがある時に作ったりしていたので、料理をやりたいという気持ちはあったんですよね。
―――引退後に調理師学校へ通われたんですね。
同級生はほとんどが18歳(笑)
1年間でしたが、自分の中では18歳の学生たちと一緒に学べたことがすごく楽しかった。
青春してるなこいつらなんて思いながら、すごい余裕がありました。
先生方は同世代だったので、向こうもやりにくかったと思いますけど、楽しかったですね(笑)
学校時代に一番気をつけていたのは、時間の流れです。
学校生活は、全てが自由だった選手時代とは違い、規則正しい生活を送る必要があるので、そこで生活リズムを取り戻しましたね。
―――調理師学校卒業後は?
ワシントンホテルで3年間働いていました。
当時は、100人単位の中華料理を担当していて、とても忙しい日々に振り回されながらも、多くを学ぶことができました。
でも周りは、すごいストレスだったと思います。料理経験が全くない新卒なんて、当時のワシントンホテルにはいませんでしたからね(汗)
当時振り回された分、多くのことを吸収できました。
今のお店も、当初は一人で出来るのか不安もありましたけど、こうして続いていることを考えれば、ホテルでの経験は大きかったと思いますね。

―――今のお店をオープンするに至ったきっかけは?
調理師学校時代、担任に紹介してもらった居酒屋でバイトしていたんですけど、そこの社長が「就職先ないだろうからうちに来なよ」と言ってくれたんです。
実際は、ワシントンホテルに就職したんですけど、3年後一人前になった時、独立するか、社長のところでお世話になるか決めるというビジョンを提案してくれたのがその社長でした。
そうしたら3年が過ぎた頃、本当にその社長から電話がきまして、「弥彦競輪場でラーメン屋を開く話しがあるんだけど、新型コロナの影響で事業を拡げられないから、もしやる気があるんだったら挑戦してみないか?」と告げられました。
それでワシントンホテルを退職して、今に至るみたいな感じです。
―――屋号の由来を教えてください。
先ほど話に出た叔母の居酒屋が「輪(WA)」だったんですが、身内に相談した結果、競輪場だし、実際に人の輪を感じた現場(競輪場)復帰だし、ということで「輪(WA)」に決めました。
―――お仕事での苦労とやりがいについて教えて頂けますか?
基本はバイト先の社長から教わったものの、修行らしい修行もないままにオープンを迎えたものですから、正直最初の頃は、批判の声も多かった・・当たり前ですよね。
それでも業務用のスープなどは一切使わず、自分でかえしから作りました。製麺所は紹介して頂きましたが、チャーシューの煮込み方、煮卵の漬け方など全てをゼロからスタートさせて、オープンまで、本当にバタバタでしたね。でも気づいたらもう4年くらい続いているかな(笑)
ラーメンの好みは、人それぞれじゃないですか。そう考えて、麺のレパートリーを増やしたんです、大変でしたけど・・
そもそも競輪場内にあるお店なので、お客様はラーメンを目的に来ているわけではないんですよね。だからメニューを増やしたりしながら、お客様の好みに合うように、飽きさせないようにと考えながら試行錯誤してきました。
あと、ひとりなので本場開催の土日は、本当に手が回らなくて大変なんです。昨年の寛仁親王牌では、長蛇の列が出来て150人が来てくれました(汗)
それでも来てくれる優しいお客様が多くて、1件もクレームないですし、本当にありがたいことですよね。
あとは、やはり「美味しかった」の一言が一番うれしいかな。

―――このご時世、リーズナブルな価格設定もうれしいですね!
利益云々よりもお客様に喜んで食べてもらうことをコンセプトにしたいという弥彦村のお考えもあり、原価も上がり大変ですが、村の力添えもあり、なんとかこの値段で提供出来ています。
―――教わった味に池端さんのこだわりが加わっていったんですね?
努力を怠ればお客様にも伝わってしまう、ごまかしは効かないと思うんです。
だから、業務用スープは使わない。ひとつひとつ研究しながら努力しているつもりです。
最近は、競輪を見ずにラーメンだけを食べに来てくれる人もいるんですが、決して喜ばしいことではない。是非、競輪も楽しんでくれと言いたいですね(笑)
今年、弥彦村の広報紙に載せて頂いた時は、その効果で家族連れが増えたんですが、家族4人が別々の注文になるとやっぱり手が回らない。
理想は4人分同時にお出しすることなんですが、どういう順番で出すか、そこはこだわっている部分であり、悩みどころでもあります。
―――競輪ファン以外のお客様も来店されるようになったんですね?
理想は、ラーメンをきっかけに競輪を知ってもらい、楽しんでもらえれば、それが一番。それが、私の果たすべき役割りなのかもしれません。
―――もちろん競輪ファンのお客様も?
九州からわざわざ来てくれた人もいます。その方は、私のブログをきっかけに競輪を好きになってくれた方なんですが、私の引退レースを見に取手まで来てくれて、今でも交流が続いています。
現役時代に金網越しに声をかけてくれていたファンの人たちが来てくれると、本当にここに戻ってきてよかったと思うし、すごく幸せな気持ちになりますね。

―――今後どのように発展させていきたいですか?
40年ラーメン屋を繁盛させてる人に「まだ自分の味の追求を続けている。ゴールはないぞ、この世界」と言われた時、この言葉をやりがいにした方がいいんだろうなぁと思いました。
経営に関してもラーメンに関しても勉強の日々ですが、今一番の課題は「人」ですね。
お店が競輪場内にあるため、どうしても営業日や時間が不定期に
なるので手伝ってくれる人がいないんですよ。
今は、田中麻衣美さん(元ガールズ競輪選手)が空いてるときに来てくれるんですが、将来的に自分もどうなるか分からないので、そこは課題ですよね。
やりたい人に引き継いで、バトンタッチできれば最高の形でしょうし、それってまさにセカンドキャリアですよね。
田中さんにも打診してるんですけどね、そうしたらこのお店ももっと人気出るでしょうから(笑)
―――現役時代から今に至るまで変わらなく大切にしていることは?
「自由」じゃないですかね。
今の自営でもそうですが、やっぱり時間を自由に使えるところが、非常に私には合っていると感じています。
自由であるがゆえの苦悩みたいなところもありますけどね(笑)
―――後輩選手の方々にひとこと(引退後後悔のないセカンドキャリアに備えるために)
一度振り返って、競輪選手になった目的、なぜなりたかったのかを思い出してみてください。その上で次にやりたいことを明確にしてから、取り組んでみるといいのではないかと思います。

取材を終えて―――
この日、私が食したのは、限定10食の背脂ラーメンです。
池端さんのラーメンは、一杯一杯に情熱とこだわりが詰まった、まさに「渾身の一杯」でした!
甘い玉ねぎと岩のりが、濃厚スープにぴったりでボリューム満点!
修行中の身と謙虚な姿勢でありながら、その完成度の高さは人気店も顔負けのクオリティで、最後まで箸が止まりませんでした。
また、弥彦競輪公式YouTubeで解説もこなす池端さん。
朝8時に家を出て、ミッドナイトの番組解説までこなすと自宅へ帰るのは真夜中になることもあるそうですが、それでも「辛いと思ったことはない」と楽しそうに語る池端さんの笑顔が素敵で、とても輝いて見えました。
自由な時間を大切にしながらも日々の努力を惜しまない姿勢で、競輪とラーメンが繋げる新しい「輪」のスタイルを築く池端さん。
今もなお競輪場で多くの人を魅了し続けるその挑戦を心から応援するとともに、また訪れる機会を楽しみにしています。ごちそうさまでした!
掲載日:2024年12月23日
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