元競輪選手のセカンドキャリア挑戦記!転職で見つけたやりがいとは?
競輪選手としてのキャリアを経て、新たな舞台で輝きを放つ渋川 聡士(しぶかわ あきひと)さん・84期。
渋川さんが選んだのは、介護という人に寄り添う仕事でした。
かつて自身が怪我で介護を受けた経験から芽生えた想いと、新たな挑戦への覚悟。
競輪で培った精神力と体力を武器に、新たな挑戦に立ち向かう渋川さんのストーリーをお届けします。
―――選手時代の思い出について
30歳になる前だったでしょうか、当時徹底先行で名を売っていた千葉の田中晴基選手(90期)を相手に先行で破った(逃げ残り2着)んですけど、田中選手が強かったので、今でも記憶に残っています。
当時は予選をやっと通過できるかどうかだったのに、先輩のアドバイスでギアを上げたら、準決勝で逃げ残ることが出来たんです。
山崎芳仁選手(88期)が4回転モンスターなんて言われていた時代に、1着ではなかったんですが確実に手応えを感じたレースでした。
―――引退当時のセカンドキャリア事情について
知り合いのツテ、競輪場の警備、起業する人なんかもいましたね。同期も何人か起業している人がいるんですが、すごいなって思います。
―――起業について考えたことは?
義父がパン屋を経営していたこともあり、起業も考えたんですよ。7年くらい前に閉店するというので、そこを引き継いで特化型のパン屋なんて面白いかな⁉なんて考えたんですが、家族に大反対されまして(笑)間近で義父をみて商売の大変さも分かっていたので、断念しました。起業を検討している人は、商売していた人に話しを聞くことをおススメします。
―――引退後の生活設計について考え始めたのはいつ頃?
引退してからですね。ギリギリのところで戦っていた中で、引退後のことを考え始めると、そこで気持ちが切れてしまうと思って、代謝になるまでは考えないようにしていました。
―――転職活動での自分軸は?
それが最初は全く浮かばなくて、俺は何ができるんだと思って。それで「Tキャリ」に相談させてもらいました。
―――就活でのご苦労は?
まずはパソコン買うところから始めました。Tキャリのキャリアアドバイザーに履歴書の作り方とか教えてもらいながら、パソコンの使い方も少しづつ覚えていきました。そのおかげでそこまで苦労した感じはしなかったですね。もしこれひとりでやらなければいけない状況だったら、ものすごく悩んでいたと思いますし、投げ出したかもしれないです。
―――就活に向けてやったことは?
キャリアアドバイザーの勧めで介護職員初任者研修(資格)を取るためにハロートレーニング(職業訓練)を受講しました。受講者は8名いたんですが、その人たちには負けたくないと思って、皆勤賞で頑張りました(笑)最後は実習があったりして、結構充実してた3か月間でしたね。
学ばないと分からないことも多く、なにより学ぶことの大切さを痛感しました。
介護職は人手不足なので、誰でもなれるみたいに思われがちなんですけど、そんなに甘いものではないと、学んだからこそより強くそう思うようになりました。
―――今の仕事と出会ったきっかけ、決め手は?
キャリアアドバイザーに紹介してもらった求人の中に介護の仕事があって、これだ!と思ったんですよ。というのも現役時代、弥彦競輪場からヘリコプターで病院へ運ばれるくらいの大怪我をしたことがありまして、体を動かすことが出来なかった期間は、介護の人に体を洗ってもらったり、髭を剃ってもらったりと大変お世話になったんです。それが頭の中で「!」って浮かんだんです。
しかもタイミングよくこれから介護報酬が上がるかもというニュースを見て、伸びしろがあるなと思ったんですよね。
運送業などは、働き方改革の影響で収入が減るかもしれないので、それなら伸びしろがある業種に行った方がいい、人材不足も聞いていましたので、だったら挑戦してみようかなと思い、同期で介護関係の職についている人たちにも話しを聞いた上で決断しました。
インタビューを終えて
引退後の人生に不安を抱える競輪選手やプロアスリートは少なくないでしょう。
しかし、渋川さんの歩みは、新たな道を切り開くヒントに満ちていました。真摯に学び、確実に成長を重ねる姿勢。そして何より、人を想う気持ちを大切にするその姿に深い感銘を受けました。
競輪選手としての経験を活かしながら、介護という新しい分野で日々研鑽を重ね、50歳での資格取得を目指しているというその向上心は、まさにアスリートのマインドそのものであり、勇気をもらった読者も多いのではないでしょうか。
この記事が、競輪選手の皆様の新たな一歩を後押しする一助となれば幸いです。
飾らない人柄や誠実さで多くの人を癒し続ける渋川さん、今後益々のご活躍を心から祈っています。
渋川 聡士さん
2000年4月 22歳で競輪選手としてデビュー 84期・新潟所属
通算成績は272勝、優勝1回、選手生活約23年を経て、2023年7月に45歳で引退
現在は、介護職員としてナーシングホームメッツ大手にお勤めです。
掲載日:2025年3月7日
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