インタビューNo.28元競輪選手:俵 信之さん | Tキャリあなたのセカンドキャリアを応援します!

競輪界のレジェンド俵信之さんに突撃取材!
これまでのキャリアについてお話を伺いました。
現役時代は、プロの競輪選手として、そして自転車競技の競技者として、輝かしい成績を誇る俵 信之 (たわら のぶゆき)さん・53期。
引退後は、日本競輪選手会の専従訓練トレーナーとして若手選手の育成に従事。
持ち前のバイタリティで、その後はパーソナルジムを開業し、人々の健康を支えるパーソナルトレーナーとして活躍されています。
数々の輝かしい経験、そして引退後の挑戦、そこには揺るぎない信念と熱い想いがありました。



―――選手時代の思い出について


一番記憶に残っているのは、やっぱりデビュー戦です。
自分がバンクの中に入ってお客さんの前で走ると思うとワクワクドキドキしましたし、ほんと何とも言えない気持ちになったことを今でも鮮明に覚えています。

私が選手になった時は新人リーグがあり、同期の誰が斡旋されるんだろう?とか、特別な感情を抱いて走った感じですね。
そして、親族や知人が応援に来てくれた地元戦で優勝した時は、なんでしょう、「やっと選手になった」というか、「やっと走れた」みたいな感じで、とても感慨深いものがありました。




―――引退当時のことを教えてください


“引退”というイメージが自分の中に全然無くて。いつかは来るだろうと思っていたのですが、一応目標として、子供達が社会人になる60歳くらいまで現役でいられたらいいなと思っていました。
現役最後の2年間で大きな骨折を2回、2回目の肩鎖関節が離れてしまったのをきっかけに「そろそろ引退か」という雰囲気になりましたが、トレーナーさんの元でリハビリを続けていました。リハビリや普通のトレーニングは“治っている充実感”みたいなのがあって楽しかったのですが、実際にバンクを走ると、全然やる気が起きない(汗)
「この様な気持ちで走ると怪我をしてしまう」との思いが強くなり、妻へ「そろそろ潮時かもしれない」と相談しました。
ただ、競走前のひりつくような緊張感や、宿舎にいる雰囲気がものすごく好きだったので、スパッと踏ん切りはつかなかったですね。


―――引退後、選手会の訓練トレーナーに就任されていたと伺いました


とりあえず少しのんびりしようと思っていたのですが、たまたま日本競輪選手会の訓練トレーナー募集の話しがあり、支部からも先輩からも薦められたのでお受けしました。
仲の良い本田晴美さん(岡山・51期)が先に訓練トレーナーをされていて、「いろんな選手と接することが出来て面白い。チャンスがあるんだったらやった方がいい」と背中を押され、現場も指導も好きだったので、4年間の任期を務め上げました。
もちろん競走が強くなるアドバイスもしていましたが、やっぱり人間関係の悩み相談が一番多かったですね。


―――現在のお仕事について教えてください


パーソナルジムという形でやらせてもらっています。トレーニングが基本ですが、最初は首や肩、腰などに痛みを感じて来る方が多いですね。状態をみて身体を一度緩ませてあげるのですが、癖になっていたり、頻繁に症状が出る方に関しては、再発防止や軽減するようなトレーニングを提案させてもらっています。
もちろん身体に触るとすぐに症状が分かりますし、トレーナー歴6年目にもなると、来店された時の歩き方や仕草を見ただけで、悪いところがわかるようになりましたね。


―――パーソナルトレーナーを始めたきっかけや、決め手は?


現役時代にトレーナーを雇っていたんです。大きい怪我をした時に身体のメンテナンスを兼ねてお世話になり、身体のメカニズムなどを勉強するようになったのがきっかけでしたね。
パーソナルトレーナーの活動は、実は選手を辞める半年ぐらい前から始めていました。最初は趣味の範囲でしたが、訓練トレーナーになってから少しずつ広げていきました。最初は不定期営業ながらも、当時からずっと通ってくれている生徒さんもいます。
実は、チラシ広告などは1度も出したことが無いんです。自ら語ることはないのですが、ネットで私が元競輪選手だったことを知って、それで信用して通ってくれているのかなと思います。


―――お仕事の魅力、やりがい、苦労などについて教えていただけますか?


若くても体が全然動かない方や、自分より年上の方も沢山通って頂いているんですけど、皆さんそれぞれ状態が違いますし、歳をとってからでも身体は良くなるんだと私は思っています。
トレーニングを重ねて、その成長の過程をみるのが結構面白い、大好きなんですよ。それが結構、この仕事のモチベーションになっているのかもしれません。




―――お客様との印象的なエピソードなどはありますか?


最高齢の生徒さんは、86歳の女性なのですが、40~50歳くらいの人の動きでトレーニングされています。もう5年ほど通われていますが、バランスボールの上に乗って、V字バランスとかするんですよ。すごいでしょ!
「ここでトレーニングして帰ると、今日もまた1日生きていることを実感する」とおっしゃるんです。このくらいの年齢になると、そういう気持ちになるんだなぁと思いつつ、「全然、まだ大丈夫ですよ。90歳まで頑張りましょう!」と返しています。
ジムに通ってもらい、トレーニングで身体の調子を確認し、安心して帰る。すごくいい習慣ではないでしょうか。食べられるうちは人間絶対大丈夫なんですが、食が落ちてきた時は、皆さんも気をつけてほしいと思います。


―――競輪選手も通っていますか?


競輪選手は、レースに行く前の身体メンテナンスという感じで、マッサージを受けに来る人もいます。選手はトレーニングの持論があるので、私からのアドバイスはひと言ふた言くらいですね。興味をもって素直に聞いてくる方もいますし、中には「素質が違うから仕方が無い」という方もいるんです。でも、身体のメカニズムは一緒だから、やり方をちょっと変えるだけで、これまで以上の力が出せるようになったりすることもあるんですよ。

―――常連さんも多いようですね、工夫や秘訣は?


信頼が必要というか、評価が悪ければお客様は来ないと思うんです。
お客様には「また調子が悪くなったら連絡ください」とお伝えするくらいで「来てください」とは言わないようにしています。
だいたい2、3日するとトレーニング相談の連絡が来るのですが、「週1程度が一番いいですよ」とお薦めしています。しばらく休みますという方はいますが、途中で退会する方はほとんどいないですね。通いやすい料金設定にしていることが一番の要因だと思うのですが、皆さん納得して、満足して帰っていきますよ。こちらが親身になって話を聞いてあげると、抱える不安など気兼ねなく話してくれる、そんな関係性を大切にしたいといつも思っています。



―――普段から心掛けていることはありますか?


体調を崩さないこと。自分自身が腰痛、肩痛で動けなくなったりしたら、お客様が困りますからね(笑)選手時代から1日のルーティンとして入浴後のストレッチは続けていて、身体が固まらないように心掛けています。

―――パーソナルトレーナーとしての今後の目標やビジョンは?


いつまで続けるかは特に考えていないんですけど、生徒さんが来てくれる間は自分の手の届く範囲でやってあげたいと考えています。

―――この仕事を通じて、人生観や価値観に変化はありましたか?


年齢や職種、立場などが異なるいろんな方々と接する機会が増えたので、人間観察をするようになりましたね。
競輪選手同士の会話とは違い、一般の方と会話する際は「こういう事は言ってはいけないな」「ここまで踏み込むのはあまり良くないな」ということに気を付けるようになりました。冗談の度合いも、一般の方と我々元競輪選手ではアンテナの向きがちょっと違うところもある。今はネットの時代ですし、発言には十分気を付けながら、そこは客商売の難しいところですね。



―――今のお仕事、どんな人に向いていると思いますか?


人の身体を診るには、ある程度自分の身体を実験台にしないとわからない部分が結構あります。例えば自分の身体の調子が悪くなって、診てもらった時に教えてもらったことを知識として蓄えられる人などでしょうか。
やっぱり、いろんな経験をして、いろんなことを覚えられる人は、今の仕事に限らず、他の仕事でも役に立つと思います。


―――後輩選手にアドバイスを頂けますか?


現役で走っている時は、セカンドキャリアのことをあまり考えないと思うんですよね。「今、自分は走れているから、そんなことを考えなくても全然大丈夫」という人が多いと思います。でも、どこか頭の片隅でもいいので、入れておくことが大事だなと、引退した今になってそう思うようになりました。現役のうちから、もっと早い段階の養成所にいる時から、多くの情報を集めてもいいのではないかと思います。

インタビューを終えて

現役時代の栄光そのままに、新たなキャリアで着実に実績を積み重ねる俵さん。
謙虚な姿勢を保ちながらも、確かな技術と経験で多くの人々から信頼を得ている姿がとても印象的でした。セカンドキャリアの重要性を説く俵さんの言葉には、後進を思う温かい気持ちが込められており、競輪界やアスリートの未来を考える上でとても貴重なメッセージとなっています。競輪界のレジェンドは、きっとこれからも多くの方々に元気を与え続けてくれることでしょう。俵さんのような存在が、人生100年時代を生き抜く鍵になるのかもしれません。

俵 信之さん
1984年5月デビュー 53期 北海道所属(元支部長)
通算2629戦419勝・優勝52回・GP出場4回
選手生活34年を経て、2018年6月に惜しまれつつ引退。
引退後は、日本競輪選手会の専従訓練トレーナーとして競輪選手の育成に関わり、その後パーソナルトレーナーとしてパーソナルジムを開業。
また自転車競技では、高校時代から自転車競技ジュニア世界選手権のスプリント種目に出場。プロになってからも1986年世界選手権自転車競技大会のスプリント種目に初出場し、中野浩一さん・松井英幸さんに次いで3位入賞。翌年の同大会では優勝し、前年までの中野さんV10に続く日本人選手V11を達成するなど輝かしい実績を残しています。

掲載日:2025年3月26日