インタビューNo.29 元競輪選手:越川一寿さん | Tキャリあなたのセカンドキャリアを応援します!

新しい挑戦にドキドキ!ワクワク!が止まらない元競輪選手♪
埼玉県で新たな道を歩き始めた元競輪選手の越川 一寿(こしかわ かずひさ) さん・78期。今年1月に起業した「株式会社打鐘(ジャン)サービス」に伺いました。
会社名の「打鐘(ジャン)サービス」とは一体どんな仕事されている会社なのでしょう?ドキドキ!ワクワク!が止まらないとは!どんな話がお聞きできるのか楽しみです♪



▼まずは競輪選手時代の思い出をお願いします。


昇級を決める最終戦で石山直哉くんと「S級になれたらいいよね」なんて話をしていたのですが、結果は石山くんはS級、僕はダメで…悔しい思い出がありますね。
でも、レースに行けば毎日が楽しかったです。昔は先輩のお世話というか、先輩が「ご飯」と言えばご飯を出し、「お風呂」って言ったら風呂に行く、今だとパワハラになっちゃうようなことですけど、私としては先輩に可愛がってもらっていた印象が強く滅茶苦茶いい思い出です!


▼辛かった思い出はありますか?


夏場の長野県麦草峠での合宿で、20キロ以上の上り坂を走る練習がキツかったです。
師匠が「とにかく乗れ、量の先に質がある!」って量質転化の法則という考え方で、量もそうですけど、やり続けるという精神をそこで養わさせて頂きました。


▼なぜ競輪選手に?


子供の頃、親が競輪ファンで賭けているのを見ていて「どうやったら勝てるのか?」を考えるようになりました。お金を得るには走る側になるしかないと思い付き、小学2年生の時に競輪選手になることを決めました。そこから、毎日マラソンを始め、小中学生の時には学校で一番、足が早くなっていました。





▼引退を意識したのは?


デビューした時から、20年やれたら最高だよなって、思っていました。それで35歳になった時に40歳になったら、次の仕事に進もうかなって自然に考えるようになりました。

▼40歳になって実際は?


いざ40歳になった時は、やっぱり競輪は楽しいよ!やめたくね~ぇ!って思って、同グループの人に話たら「その気持ちがあるなら、まだやってた方がいいよ」って、それから、あと半年、半年…の繰り返しで45歳に。
ちょうど、点数も落ちてきていたので区切りでいいかと自主代謝しました。最後のレースはコロナ禍で無観客レースになり、それも僕らしかったなと。


▼引退後の生活設計については?


40才頃からパチンコなどを設置する会社でアルバイトを始めたんです。パチンコが好きだったのもありますが、裏側ってどうなっているのかな?って、まずは社会勉強みたいな感じで働きました。そのアルバイト先の会社が新規事業で消防設備の仕事を始めたんです。それを見ていて消防設備の仕事はありだな!引退したら、これにしようと決めました。

▼セカンドキャリアのスタートはスムーズでしたか?


セカンドキャリアで迷うことはありませんでした。引退してから仕事を探そうという考えではなかったので、現役中からバイト先の社長に「引退したら、雇ってください」と頼んでいました。

▼起業を選んだ理由は?


実家が自営業というのもあり、僕も自分で勝負したかったんですね。引退後は消防設備士の仕事を覚えるため会社員として働いていましたが、[資格] [技術] [仲間]の3つが揃ったら開業することを決めていました。


▼資格取得は?


現役時代に電気工事士2級の勉強を始めました。勉強を始めてから1年後に試験を受け、一発で合格できたことはとても嬉しかったです。引退後は消防設備の会社に就職し、仕事を覚えながら、自宅で消防設備士の資格取得のための勉強を頑張り、甲種4類を取得しました。

▼他にも資格はありますか?また、取得しますか?


消防設備士の種類は甲種・乙種があり、その中でも更に細分化されています。仕事の幅を広げるため、今後も取得していく予定です。
※詳しくは下図をクリックしてください。

▼この仕事のご苦労は?


火事の緊急時は人命に直結する仕事なので、消防署へ提出する工事報告書や点検報告書がなかなか受理されず再提出になります。 そこが一番大変なところですね。
あとは、現場に到着後に「今、責任者いないので事務所に入れません」とか、予期せぬことが結構起きますが、前向きに捉えると僕の経験値になっていくので嬉しいです。


▼この仕事のおすすめは?


大小、ジャンルを問わず色々な施設の点検を手掛けることができるので、自分の好きな規模の仕事が選べるところです。幅を広げずに、共同住宅専門など、自分の考え方に合わせて柔軟に働き方を選ぶことができます。また、消防設備は法定点検が義務付けられているので絶対なくならない仕事なことと、全国が対象なので、場所を選ばずどこでも始められるところです。

▼やりがいは?


誰でもできる仕事じゃないんで、やりがいは滅茶苦茶ありますね。もう、新しい挑戦にドキドキ!ワクワク!しかないんですよ。やり込む量でいくらでも自分の幅を広げることもできるんで!


▼競輪時代の経験が役立つことはありますか?


いろんな先輩や後輩など沢山の人と関わってきたので、どんなお客さんにも対応できる能力が付いていました。また、量質転化の法則という考え方は、今の仕事にも活かされています。
余談ですが、最近嬉しかったことがありました。客先の方に「越川さん、この前の小倉の解説見ましたよ。僕、競輪好きなんですよ。会えて嬉しいです」 なんて言われて、競輪選手をやっていたおかげで、人間関係の距離が縮むことがありました。



▼後輩やセカンドキャリアを考えている方たちにアドバイスをお願い致します!


人生は意外と短いんで、やりたいことがあるなら、すぐに行動すべきです。ダメなら次に行けばいい。考える時間がもったいないです。だから、後輩たちに言いたいことは、現役時代もいつか終わりが来るから、今の思いをどれだけペダルに込められるかってとこですね。それができれば燃え尽きてやめても、そこからまた何でもできるって思えるんですよね。僕自身が45歳でゼロからスタートして現在があるので皆さんもなんでもできると信じています。

ちょっと話は逸れてしまいますが、中学2年生の時に同級生3人と将来は「競輪選手」「競馬の調教師」「ジョッキー」になろうって約束したんです。調教師を目指していた同級生は大けがをしてしまって、調教師自体の夢はかなわなかったんですけど、調教助手になり、去年、担当していたテンハッピーローズがG1を取りました!ジョッキーを目指していた同級生は、残念ですがなれませんでした。小谷文吾さんも言っていたように若いうちから目標を持ち、ロードマップみたいなもの作った方がいいですね。

インタビューを終えて

小学2年生で競輪選手になると目標を定め、そこから毎日マラソンを続けるなど、努力と継続を積み重ね見事にご自身の夢を叶えた越川さんのお話から「天才とは努力する凡才である」という言葉を思い出しました。現在も常に上を目指し日々努力をされている越川さんの中に天才の姿が垣間見えました。

次回お会いする時は、更にレベルアップされていることでしょう。これからも輝き続ける越川さんを応援しています。

越川 一寿さん
1996年8月21日デビュー78期
★現役生活25年 通算成績361勝
2021年5月13日に惜しまれつつ引退
現在は「株式会社打鐘サービス」経営
その他:競輪解説/相原プロレス協賛

掲載日:2025年4月25日