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王道を受け継ぐ家系ラーメン店で活躍する元競輪選手にインタビュー

中川 司さん

飲食店 競輪選手/65期

日本の「国民食」とも言えるラーメン。その種類は、東京・札幌・博多といったご当地による分類や、豚骨・醤油・みそといったスープの違いによる分類があります。さらに近年では、家系・二郎系・大勝軒系などの系統による分類も広がり、熱狂的なファンに支持されています。
今回お話を伺ったのは、近年特に競争が激しい家系ラーメン店を経営されている元競輪選手の中川司(なかがわつかさ)さん(65期)です。

――まずは、選手時代の思い出をお聞かせください。

競輪選手になった頃、世間的にはバブルが弾けていましたが、競輪界はバブルの絶好調の時期で、賞金も良く、生活も派手で、いいイメージしか残っていないですね。
東出誠さん(62期)との競走が一番の思い出になっています。
東出さんが足首を骨折して長い間欠場していましたが、復帰後の小田原記念で、僕が先行で東出さんは3番手に回ってくれました。その時に東出さんから「とにかく行け、2周目から行け。俺が3番手で仕事するから」と言われ、その通りに走ったら東出さんがすべてをブロックしてくれて、ワン・ツー・スリーのラインでゴールを決めることができました。
また、結婚が決まった時に出場した寛仁親王杯でも、「結婚祝いに3周逃げろ」と言われ、2周半逃げ切り、東出さんがすべてをブロックしてくれて、2人しかいないラインでワン・ツーを決めることができました。本当にこの人はすごいなと、感銘を受けました。
それにすごく可愛がってくれて、僕の髭をカットしてくれてデザインもしてくれました。今でも髭は東出さんのデザインのままです。東出さんの競走スタイルや考え方に影響を受けました。競輪選手時代は、いい思い出しかないなぁと思います。

――セカンドキャリアにラーメン店を選んだ理由は?

僕が競輪選手を辞めて一番最初に始めたのは、サントリーの知り合いから「静岡市内の両替町でお店をやらないか」と話をもらったことがきっかけでした。何も深く考えず、「夜の商売も儲かるだろうな、やってみようかな」というくらいのイメージで、両替町に居酒屋とBARを始めました。サントリーも業績が良かったので、バックアップしてくれたんですよ。運が良かったですね。
そういう巡り合わせもあって始めたのですが、開店から2年目くらいに東日本大震災が起こり、サントリーから「とんでもない地震が起きた。企業はみんな自粛するから手を引いた方がいい。今後どうなるか分からない」と言われました。とりあえず続けてみようと2か月ほど続けましたが、赤字でしたね。これはダメだと判断して、すぐに店を閉めました。
店を閉めた後、介護業界の知り合いから「スポーツ選手の経験を活かして仕事をしないか」と声をかけていただき、介護業界に進む予定でした。働き始めるまでに半年ほど期間があり、その間、妻の叔父から「店が忙しいから手伝ってくれないか」と言われたので、手伝いのつもりで叔父のところへ行きました。
叔父は伊東市で「吉田屋」というラーメン店を営んでおり、静岡県で家系ラーメンを最初に始めたお店です。手伝いに行くと、「ラーメン屋は儲かるんだからやれ。修行だ、12年で店を持てるように厳しく教えるから」と言われて、手伝いのつもりが半ば強制的に修行の道へ入りました(笑)。「吉田屋」はとても繁盛していたので魅力もあり、「それも一つの選択でいいかな」と思うようになりました。

――この仕事の醍醐味と続けられる秘訣は?

初めて来たお客様が、お世辞でも「美味しいね」と言って全部食べてくれると、やっぱり嬉しいですね。選手時代もそうですけど、1着を取ると声援が来るじゃないですか。それと一緒で、お客様に喜んでもらえると嬉しいですね。そう思うからこそ、「もっと心を込めて作らなきゃ」と思えることが、この仕事の醍醐味です。
店の常連に三島警察署の警察官の方がいて、醤油派と塩派に分かれているんですけど、塩派のお巡りさんが「大将!? 捕まえないけど、何か入ってるよね?」と言うと、醤油派のお巡りさんも「醤油にも入ってるよね?でも捕まえちゃうと食べられなくなっちゃうから、捕まえないでおこう(笑)」なんて冗談を言ってくれるんです。そういう人との付き合いや交流があるからこそ、続けられているのかなと思います。

――おすすめは?

家系ラーメンは醤油が正統な味なんですけど、うちは塩味が売れていますね。それは狙い通りなので嬉しいんです。
僕は小さい頃から「サッポロ一番の塩ラーメン」が好きで、それに近づけようと試行錯誤の末、3種類の塩にたどり着き、それをブレンドしています。
だから、横浜からのお客様が最初は「塩なんて邪道だよ」と言っていたのに、次に来た時も塩を注文するんです。「また今回も塩ですか?」って(笑)。
でも、もっと近づけようと日々改良を続けていたら、お客様に「もう美味いから!サッポロ一番は家で食べられるから、もうやめてくれ」って言われました(笑)。

――競輪選手時代の経験が役立っていることは?

競輪選手は全国に行くじゃないですか。時間があれば現地のいろいろなお店に行ったりして、方言もいろいろと聞いていましたから、お客様と話すとイントネーションでだいたいどこの人か分かるんです。
なので、「○○の人ですか? ○○のお店美味しいですよね」といったように、会話のきっかけになることが役に立っていますね。
あとは、お客様相手の商売は、選手の時と一緒で、お客様に喜んでもらえるように努力をすることですかね。

――後輩へセカンドキャリアのアドバイスをお願いします。

選手時代に好きなことをやっていて、すごく輝いていたけど、「もう疲れたよ」と思う選手もいるかもしれません。ただ、辞めた後も目標をきちんと設定した方がいいと思うんですよね。就職して毎月安定した給与をもらいたいのか、自分で何かをやりたいのか。自分は何をしたいのか、どこに目標を置くのかが大切だと思います。
その目標のためにも、できれば現役時代の収入をもとに、資産運用をしっかり考えておいてほしいです。僕らの時代は節税対策や資産運用なんて教えてもらえませんでしたから。
うちの息子にも「お金は使いすぎないで、ちゃんと貯めておきなよ」と言っているんですけど、「強くなればいいんでしょ」と、昔の自分と同じような考えで。「生活に困るぞ」と言っているんですけどね。あとはもう本人次第です。
最後に、競輪選手だからこそできる人とのつながりを大事にしてほしいです。そのつながりから、セカンドキャリアにつながるチャンスもあると思います。今は競輪選手としての努力を惜しまず、頑張ってください。

インタビューを終えて

競輪選手時代の思い出については、東出さんとの競走が特に印象的でした。東出さんとの連携で素晴らしい勝利を収めたり、寛仁親王杯では結婚祝いとしてサポートを受けて勝利を収めたりと、充実した選手生活が伺えました。また、東出さんの優れた競走スタイルや考え方に影響を受け、可愛がられる中で、髭のデザインまで手がけてもらったとのことで、選手時代は良い思い出ばかりだったことが伝わってきます。
居酒屋やBARの経営、そして現在のラーメン店と、数奇な人生を歩まれていますが、その中でも目の前のことに全力で向き合い続ける姿勢に、器の大きさを感じました。一見、強面で迫力のある印象ですが、実際は非常に人情深く愛情のある方で、思わずファンになってしまうような魅力があります。
地元の警察署の方々とのエピソードからも、地域に愛されている様子が伝わってきました。物価高など厳しい状況は続きますが、これからも末長く繁盛されることを、Tキャリとして心より願っています。

中川司さん プロフィール

1990年4月7日デビュー(65期)
★選手生活20年 通算成績277勝
2010年5月20日に惜しまれつつ引退
現在は、静岡県沼津市で家系ラーメン店 「会心のラーメン 捲り家」を経営されています。

掲載日:2023年12月23日
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