伊藤 健児さん
競輪という厳しい世界で17年以上走り続けた一人の漢が、全く異なるフィールドで再び挑戦を始めた――。
「セカンドキャリア=大変」そう語る元競輪選手の伊藤健児さん。
17年の現役生活を終えた後、彼を待っていたのは“ゼロからの社会人生活”でした。
資格取得に5年以上、就職難、そして独立。
決して順風満帆ではないその道のりには、リアルな学びが詰まっています。
――競輪選手を目指した理由、きっかけは?
器械体操をやっていた中学の先輩(同級生の兄)が、高校で自転車部に入ったんですけど、すごい筋肉してたんですよね。
それでインターハイや国体の話を聞いて、自分も自転車やりたいなって思ったのが最初です。
元々スポーツは好きだったんですけど、その当時は帰宅部だったので、さっそくその高校に転校届を出したんですけど、同じ学区は転入出来ないと言われ却下されてしまい、その時はあきらめたんです。
その1年後に会った先輩は、高校を卒業して愛好会に入り競輪学校(現:養成所)を受ける準備をしていたんですよ。
その先輩の兄(三兄弟の長男)が、63期の山上利明さんなんですけど、家に遊びに行った時に高級車が置いてあるし、同級生(三男)には気前よくお小遣いをあげるわけですよ。
これはいい世界だなぁと思って、そこからまた目指してみようと思ったのが、きっかけですね。
――選手としての自分の武器(脚質・勝ちパターン)は?
特にないですね(笑)
若い頃はひたすら(先行)逃げてましたので、メンバーによってはまくり一発狙いが決まるなど、それまでの「逃げ」が活きている感じもありました。でも練習嫌いだったので先行してたのは3年くらいでしょうか。
選手になる時はあんなに死ぬ気で頑張ったのにね(汗)
――選手時代の目標や記憶に残っている思い出(レースやエピソード)は?
あえて挙げるならデビュー戦ですかね。
発走機に着く時、普通は左足を上にするんですけど、この時は右足が上になってって、クリップバンド締めたら「あれ!?」って。そんなの後にも先にもデビュー戦だけでしたから相当緊張してたんでしょうね。
あとは、ルーキーチャンピオンの2着。単発レースということもあり現役時代の中で唯一、緊張せず楽しめたレースでした。
でもルーキーチャンピオン走ってS級に昇格していないのって多分僕くらいなんですよね。
優勝しなくてよかったというか、ファンの皆さんにはごめんなさいって感じです(汗)
――先輩・同期から受けた影響や学んだことは?
良くも悪くも影響受けた先輩はいます。楽しかったので自業自得なんですけど(笑)
――最も苦しかった時期をどのように乗り越えましたか?
若い頃はそれなりにヤンチャもしてましたけど、まだ20代だったある時に「自分と向き合った」くらいですかね。
景気も悪くなってきたし、これからどうしようって感じで・・
S級はダメでも少しでも長く選手を続けられるような努力はしていましたけどね。
――引退を決意したきっかけは?
一番は、怪我への恐れが強くなったことかな。
――引退前に“競輪以外の自分”を想像できていましたか?
正直想像できていなかったですね。
それでも引退の1年半前からできることはやろうと思って、色んな資格に挑戦したんですよ。
フォークリフト、高所作業車、危険物は乙1から乙6まで。あとは大型とかも考えたりしましたね。
知人からは、ごみ収集車の仕事の誘いもあったんですが、実際には空きが出なかったので行かなかったんですけど。
――今の自分が、現役時代の自分にアドバイスできるとしたら?
資産形成と資産運用です。ちゃんとやりなさいって言ってあげたいです(笑)
あとは、せっかく選手になれたんだから、きちんと練習してどこまでいけるか挑戦しなさいって言いたいですね。
――引退直後、最初に困ったことは?
蓄えもなかったので、ゆっくりする暇もなく直面したのは就活ですよね。
――就活でのご苦労について
引退後すぐに知人に紹介してもらったんですが、結局入社には至らず。
やっぱり厳しいんだなって思ったところからのスタートでしたね。
バイトも経験し、その後は知人の不動産屋さんに誘われて就職。
そこでは、土地の仕入にはじまり測量、発注で、商品に仕上げて販売するって感じで、
1から10までやらせていただきました。
宅建の資格も取りましたが、3年経っても分からないことが多い。
謄本、公図、開発許可とか、もっとこの仕事を深く知りたいと思うようになって。
これって、自転車でプロになった時と同じ感覚で、その道を極めたくなっちゃうんですよね。
――数ある資格の中で土地家屋調査士を選んだ理由と資格取得までの道のりについて
不動産には土地と建物があるんですが、土地と違って建物は新素材とか次々出てくるので勉強に終わりがない。
建物といったら建築士ですが、全国で100万人くらいいるんです。
対して、土地の調査士(土地家屋調査士)は、約1万5,000人~1万6,000人しかいないんです。
試験は難しいですけど、これなら色々詳しくなるし、飯も食って行けるんじゃないかと思ったんです。
それで、土地の道に進もうと決めて、勉強のために不動産屋は3年で一旦退職することにしました。
ちなみに土地家屋調査士は、簡単に言うと不動産謄本の「表題部」を作る仕事。
法務省管轄なので法務局登記簿謄本の登記をする仕事なんですけど、まぁ認知度がないので、測量屋さんとか測量士さんって呼ばれることが多いですね。
――独立開業までの道のりについて
勉強したのち、不動産業界に戻る予定だったんですけど、結果的に戻るところがなかったんです。
それで就活するわけなんですけど、土地家屋調査士事務所を探して10社くらい受けて半分は返事を頂けず3、4社は速攻でお断り・・その時ちょうど40歳でした。
じゃあ不動産屋しかないなってことで、最後に見つけたのが白岡市にある会社でした。
杭入れとか体力使うし、夏暑く冬寒い仕事なんですけど、たまたま体力ある人を募集していて即採用に。
わからないことだらけでしたけど、そこで修行させてもらいました。
中でもCADを覚えるのは大変でしたね。
2年目くらいの時かな、土地家屋調査士に一発合格したかったので、試験前に辞めさせてもらって勉強に集中。
会社も「じゃあ頑張って」ってことで円満退社だったんですけど、試験に落ちたあと戻ろうと思ったらすでに席がなくて。
その後は時給850円の見習いなんかもいくつか経験しました。
この業界、雇われる側になると給料が安くて、月給で20万、多い人でも30万程度。
それなりの収入を得たければ、試験に受かり独立しなさい(試験合格=ほぼ独立)っていう世界なので。
――昼働いて夜勉強の生活。試験も数回挑戦、それでも諦めずモチベーションを保てた理由は?
やっぱり、土地家屋調査士になるという目標を立てて、覚悟を決めたからでしょうか。
競輪選手は目標が決まると結構頑張ると思うんですけど、私も1日10時間位は勉強してました。
でも大変でした。受かる実力はついてたんですけど、空回りして5回くらい落ちて・・
この時初めて本番に弱いなぁと思いましたね。競輪では、本番に強いと言われていたんですけどね(笑)
ここまで5年、それで一回諦めてしまい、家庭崩壊の危機にもなりかけたんです。
でも妻が「もう一回やってみれば」って言ってくれたので、4、5か月のブランクを経て受験したら、合格しちゃったんですよね。
――最初の仕事はどうやって取りましたか?
だいたいの人は、独立が決まりかけたらその時に勤めている会社から仕事を少し分けてもらったりするんですけど、
自分の場合は、不動産業者に何のコネもなく、ゼロから全部飛び込みで仕事をとりました。
やっぱりそこがアスリートなんですよね(笑)
必ず必要な業界でありながら、土地家屋調査士の数が少ないので、向こうも探しているんですよ。
100社以上訪問したんですけど、運がいいのか10社に1社くらいはお声が掛かりましたね。
――開業含め異業種への挑戦で、特に苦労した点は?(資金面の準備など)
開業資金は、飲食店ほどではないと思うんですけど、必要な機械の値段はそこそこしますね。
定価で車一台分くらいするんですが、金融公庫で借りてそれを元手に中古で揃えたりもしました。
中には2年くらいお金が入ってこない仕事もあるんで、現金がないと黒字倒産ってことにもなりかねない。
運転資金(現金)は大事ですね。
――経営(開業時含め)として特に重視しているポイントは?
責任感でしょうか、決断を先延ばしにしないとか。
――とある1日の流れ(現場・役所・書類・打合せなど)を教えてください
週に2、3回は現場で朝から晩まで測量、それ以外は事務所作業です。
従業員に図面作成を任せて、私は朝一でメールチェックしてそのあとはずっと役所回りですね。
役所では、調査、相談、申請、交付の受け取りなどをやって、事務所に戻ってくるのは夕方くらいになります。
――他社との差別化ポイントは?
特にないんですけど、ちゃんとした業者を目指していて、特に重視しているのはスピードと丁寧さの2つですね。
同じ金額でこれだけやってるんだよってところを見せつけないと、仕事取っていけないので。
先ほど土地家屋調査士は少ないというお話をしましたけど、その7割が50代以上で今後どんどん辞めていくので、仕事入ってくるはずなんですけどね(笑)
――競輪選手時代の経験や培った能力が役に立っていると感じる瞬間はありますか?
特にないんですが(笑)役に立っているといえば「体力」ですよね。
あとは、どんなに丁寧にあいさつをして、段取りを踏んでもなかなか一筋縄ではいかないこともありますので、コミュニケーション能力も大事かな。
でもなぜか調査士の先生方は、あまりしゃべらない人が多かったりしますね(笑)
――伊藤さんにとって「セカンドキャリア」とは、一言で言うと?
「セカンドキャリア=大変」だぞってことです。
まずは、「俺には何があるんだ?」って自己分析からのスタートですかね。
でも「学び続ける姿勢」っていうのは、選手によっては嫌な方もいるでしょうけど、(身についている)得意なんじゃないですかね。
――今後の目標、挑戦したいことがあれば教えてください
今の仕事が落ち着いてきたので、次はもうちょっと儲けたいですね。
せっかくこの道のプロになったんだから、元々やりたいと思っていた不動産売買を考えています。
――最後に若い世代や悩めるアスリートへ前向きに歩むためのメッセージをお願いします!
好き嫌いではなく、「できること」をみつけて、やった方がいいと思うんですよね。
苦手を克服するよりも、できることや得意なことをどんどん伸ばしていった方がいいのかなぁと。
競輪選手って、みんな結構頑張ってると思うので、あとは目標設定を明確にして突き進んでいけば、なんとかなるんじゃないかと思います。
あと、パソコンは覚えた方がいい、必須ですね(笑)
「好き嫌いじゃなく、できることを見つけてやった方がいい」———
伊藤さんは、最後に苦手克服よりも“できることを伸ばす”大切さを語ってくださいました。
セカンドキャリアは、理想より現実の連続です。
それでも、自分の得意と向き合い、目標を明確にして突き進めば、道はつながる。
伊藤さんの言葉が、そのことを証明していたように感じます。
簡単ではないからこそ、価値がある。
競輪選手(プロアスリート)はまさに努力の天才、でなければプロになれていないのですから―――
伊藤 健児さん プロフィール
1993年4月10日 20歳でデビュー(埼玉・71期)
2010年7月 5日 37歳で引退(選手生活17年3か月)
通算1392戦88勝、優勝10回
2021年7月 国家資格 土地家屋調査士 取得
現在は、埼玉県春日部市で「いとう測量登記株式会社」を経営
※2026/6で開業から丸5年