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❝誰かのために❞走り続けて——
元競輪選手・佐藤英史さん(84期)の現在地

佐藤 英史さん

飲食店 競輪選手/84期

元競輪選手の佐藤英史(さとうひでふみ)さん、84期。町田で育ち、5度目の挑戦で競輪学校に合格。
多くの出会いや別れの中で、自転車に向き合い続けた現役生活を経て、現在は町田で焼肉店 「いくどん」ののれんを継ぎ、地域に根ざした新たな人生を歩んでいます。

――競輪選手を目指したきっかけは?

一番は父の影響ですね。父は競輪が大好きで、よく競輪場に連れて行ってくれました。近所には競輪選手・大作裕一(おおさく・ゆういち) さんの実家が営む「町田食堂」があり、父は勝っても負けてもそこへ通っていました。
父が「だいさくを呼べ~!」なんて違う名前で叫んでも、大作さんは渋々降りてきて父の相手をしてくれて…。そんな大作さんの練習姿が格好よくて、「自分もあんな風になりたい」と思い始めたのが中学2年の頃でした。

――選手になるために、どんな道を?

高校は自転車競技部のある学校を選びました。そこで主将として頑張れば、プロに近づけるんじゃないかと思って。
それから、町田って結構競輪選手の出身地で、なかでも「杉井一門」と呼ばれる有名な育成グループがあって。父が杉井則之さんと知り合いだったこともあり、弟子入りさせてもらいました。大作さんもその出身でしたね。

――修行時代はどうでしたか?

めちゃくちゃ厳しかったですよ。朝3時に師匠の家に行って、そこから自転車で大宮競輪場まで行って練習。夏休みなんかは山中湖までの往復も。ほんとにきつかった。でも、当時60歳くらいの師匠がレースがない日は全部自転車で付き添ってくれて、本当によく面倒を見てくれました。
師匠がいないときは兄弟子たちが代わりに教えてくれて、厳しいけど温かい、すごくいい環境でした。

――競輪学校の試験はすんなり?

いや、それが5回かかりました(笑)
高校1年の終わりにはすでに合格ラインのタイムが出せるようになっていて、正直「もうすぐにでもプロになれる」と思ってたんです。師匠にも「杉井一門はみんな一発合格だ、タイムさえ出てればいい」と言われて。
だから一次試験は合格、二次試験もタイム的には問題ない。それで合宿に行って車の免許も取って… 戻ってきたら「不合格」って(笑)。もう、本当にびっくりしました。

――5回かかった時の状況は?

「タイムさえ出てれば大丈夫」と思い込んで、学科を全く勉強してなかったんですよね。問題文の意味すらわからなくて、落ちるたびにどんどん落胆していって。 免許取っちゃったし、少し遊び惚けたりもしました。でも、父がずっと「選手になってほしい」って言い続けてくれて、受験だけは続けていました。
20歳の時、叔父が家庭教師していたので、初めて家庭教師をつけました。それでようやく5回目で合格できました。

――一番応援してくれていたお父様の病気もあったとか?

はい。合格を目指していたその間に、父ががんで入院してしまって。練習後にお見舞いに行くと、父は「お前には絶対選手になってほしい」って言ってくれて。
その言葉と、今後は母を支えなきゃっていう思いが自分の支えになって、ようやく本気で勉強に向き合えました。

――合格した時の気持ちは?

それは嬉しかったですよ。でも、入学して在籍中に父が亡くなってしまって…。喪失感と虚脱感で、「誰のために選手になったんだろう」って気持ちになってしまって、正直、競輪学校なんかどうでもよくなっちゃって。
とりあえずデビューはしたけど、気持ちはふわふわしてました。

――競技にもう一度向き合えたきっかけは?

同期の勝瀬卓也さんと川口直人さんが完全優勝したんです。その姿を見て「自分も頑張ろうって思えた。
その時はまだ母が生きていたので、「今度こそ母のために」って。

――でも、そのお母様も…

なんか頑張ろうと思うと、何かが起きちゃうっていうのかな。僕の競輪人生は。デビューして2年くらい経った頃、母も亡くなってしまって…。でも、父の時と違って、同級生や母の友達が支えてくれたんです。だから母に対してはやり切ってあげられたかなと思っています。

――這い上がるまでの転機は?

何かのために頑張ろう、じゃなくて、自分のために頑張るスイッチが入ったのは、高瀬さんに「お前弱いけど、いいもん持ってる。練習来いよ」って誘ってもらってからですね。
一緒に練習してるうちに、タイムが出るようになって、勝てるようになってきて。周りからも「強くなったな」と言われるのが嬉しくて、「一度でいいからS級になりたい、同じ景色を見てみたい」って本気で思うようになりました。

――現役時代、特に印象に残っていることは?

発走機に立った時の緊張感。あれは忘れられませんね。逃げたくなる。「構えて」って言われたら覚悟を決めますけど、❝初日負けちゃったから今日はなんとか勝たなきゃ❞とか、❝お客さんにいいとこ見せたいな❞とか、そのドキドキ感。あの感覚は一度味わうと、たぶん辞めた後の人生で何があっても耐えられると思いますよ。たまに、また味わいたいなって思うくらいです(笑)。

――選手時代の自分に今かけてあげたい言葉は?

58歳で現役の岡崎さんっていう選手がいるんです。その人、本当に競輪が好きで「何歳までやるんですか?」って聞いたら、「競輪がある限りはやりたいね」って。僕もそんな人になりたかった。
だから、当時の自分には「岡崎さんに会いに行け」って言いたいですね。

――セカンドキャリアはいつから意識していましたか?

父に「人生の土台は2つ3つ持て」と言われていて、現役時代から「いくどん」でバイトしてました。父の知り合いでもあり、僕の後援会の会長をやってくれたりした社長のお店で、接客に興味もあったので。

――引退のきっかけは?

その「いくどん」の社長が倒れてしまって。「父のような存在」だったので、いてもたってもいられなくなりました。 でも社長に言っても反対されるのがわかっていたから、もう自分で決めて。ちょうど兄の誕生日の日にレースで1着が取れたので、それで区切りをつけました。でもありがたいことに社長は今、元気にしています!

――引退後の道は?

「いくどん」の本店で本格的に修業をさせてもらって、今の店を開くことになりました。

――店舗探しはどうされましたか?

町田でやると「いくどん」の他の店舗とかぶってしまうので、少し離れた場所を探していたところ、知り合いの不動産屋さんが「この辺は飲食が少ないからいいんじゃない?」と教えてくれて。
ちょうどこの物件が空いていて、大家さんからも「下に人がいてくれた方が安心」と言っていただけて、開業に至りました。

――土台を複数持て、というお父様の教え。他にも土台を?

妻が隣で飲食店をやっています。ゆくゆくは地域の子どもたちに「子ども食堂」のような、誰でも集える憩いの場を作りたいとも思っています。子どもだけでなく、地域の人すべてのために。

――飲食の仕事で一番大変なことは?

競輪に比べたら、正直なんでもないです(笑)。現役時代からやってましたし。

――おすすめメニューは?

「いくどん」はメニューが決まっていますが、社長に相談して決めています。おすすめは豚のホルモン!社長のおかげでいい仕入れ先を持っているので、もううまくて当たり前!他にもあるけど、ホルモンなら「いくどん」です!

――この仕事の魅力とは?

正直、物価高でしんどい部分もあるけど、飲食や接客が好きならやりがいはあります。
お客さんとの会話の中で新しい世界が見えたり、「一緒に地域を盛り上げよう」とか「東南アジアに移住しよう」なんて面白い話が飛び出すこともあるし、本当に楽しいです。

――最後に後輩のみなさんに一言お願いします

今の若い選手って、スピードがすごいじゃないですか。だから、とにかく「怪我だけはしないで」って言いたいですね。 あとは、時間があるときは本を読んだり、世の中のことを見てみたりして、自分の視野を広げることもしてみてほしいなって思います。それこそ辞めた人の生活をリアルに見るといい。例えばお店とか。そういうのを見て学んで、準備しておけ。そういうのを見てまだ競輪をやっていたいなって思ったら頑張れるし。

インタビューを終えて

勝負の世界で鍛え上げた精神力と、誰かのために走り続けた情熱。佐藤さんは、レースさながらのスピード感で、飲食店オーナーとして新たなスタートを切っていました。
発走機につくときのあの独特な緊張感は、今でも忘れられない特別な経験であり、「あの緊張を乗り越えられた自分なら、どこでもきっとやっていける」と、自信と誇りを持って新たな道を歩んでいらっしゃいます。
まさに、競技人生で培った経験はセカンドキャリアでも大きな力になるのだと、改めて感じさせられました。
競輪選手時代、常に「誰かのため」に全力でペダルを踏み続けた佐藤さん。その想いは今も変わらず、人とのつながりを大切にしながら、日々お店に立ち続けています。
これからも、持ち前の精神力と情熱を武器に走り続ける佐藤さんのご活躍を、心から応援しています。

佐藤英史さん プロフィール

2000年4月16日デビュー(東京/84期)
★現役生活15年 通算成績144勝
2015年1月9日に惜しまれつつ引退
現在は「いくどん 中山店」を経営

掲載日:2025年6月19日
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