吉田 悟さん
金融機関の営業マンが一大決心し、競輪選手の道へ!
会社を辞めて半年後の養成所試験に合格!見事に転身を遂げた吉田悟(よしださとる)選手(119期)にお話をうかがいました。
――なぜ、競輪選手に転身したのか教えてください。
小さい頃から大学まで野球をしていてプロを目指していました。卒業後は、祖父の助言によりプロ野球の夢は諦め、地元の熊本に戻って就職することにしました。信用金庫に就職して、営業マンをしていましたが、本当に周りの人に恵まれました。
岩下理事(トップ写真右側)や松村融資課長(5枚目写真)とは、家族ぐるみのお付き合いをさせていただき本当の親子のような関係で、貴重な助言を数多くいただきました。このような環境のおかげで、信用金庫時代の最後の年には年間営業成績1位を達成することができました。
信用金庫時代は精一杯仕事をして結果も出し、順風満帆でしたが、自分は❝プロスポーツ選手として生計を立てる❞という夢があり、競輪選手になれば夢が実現できると思ったので、一大決心をして競輪選手を目指すことにしました。
結婚も決まり新生活を始める矢先のキャリア変更には不安もありましたが、妻から「一度だけ!」という約束で受験するチャンスをもらうことができたので、信用金庫を退社して半年間練習に集中し、まぐれではありますが合格することができました。
――競輪選手と並行して起業を考えたきっかけは?
競輪選手にはなれましたが、怪我とかで収入が不安定になる可能性があることと、自分が競輪選手を辞めた時に「社会に戻れる場所があるといいね。私が経営を担当するから」と妻が言ってくれたことが起業のきっかけでした。
私も出産などで一時的に社会を離れて、その後、復帰できるのか、復帰するのか、などいろいろと不安な考えを抱いたことがあったので、人が不安な気持ちで競輪選手を続けるのではなく、安心して選手を続けられ、代謝後に社会に戻れる場所があればと起業を提案しました。私は営業があまり得意な方ではないのですが、主人はお客様とのつながりが好きというか大事にしているのを見ていたので、主人と一緒だったらできると思いました。
――事業のアイデアは?
不動産を買いたいなとか他にもいろいろと考えていましたが、コロナ禍でリモート化が進み、会社員が地方に家を借りたり、大学生も家を借りている必要がなくなり実家に戻るなど賃貸に動きがあり、掃除業者が足りなくなっていたんです。その時に信用金庫時代のお客様から「掃除業者を紹介してくれないか」と依頼を受けたことがあり、これは今後もなくならない仕事だと感じました。それならば、お客様に掃除業者を紹介するのではなく、自分が直接行った方が効率よくできるのではないかと考えました。家族経営で妻が「社長」 自分が「営業」父に「現場」を任せる計画をたて、父に1年間、掃除の技術を身につけるために同業者へ修行に行ってもらいました。
――起業に向けての道のりで苦労されましたか?
融資を受けるための知識は信用金庫時代の営業で学び、お金の貯め方は上司に教わっていたため、しっかりと貯金してありました。競輪の収入も融資を受けるための柱となり、資金面の苦労はありませんでした。そして競輪選手になったことで身元証明(※融資を受ける際の身元証明は結構難しい)が公的なWebサイト keirin.jp ↗ で証明されているため、審査もスムーズにいきました。顧客獲得も信用金庫時代のお客様のところを回り順調に獲得することができました。本当に信用金庫に勤めていて良かったですし、競輪選手になれて良かったです。
――現在手掛けている事業をご紹介してください。
清掃業です。賃貸物件の退去後のハウスクリーニングや飲食店等の店舗清掃、マンションの定期清掃(月1~2回)をやっています。熊本TSMC(半導体工場)が来ることになったんです。それで、清掃の仕事の需要が増えるので、【お掃除本舗】さんから「一緒に仕事しませんか?」と声をかけてもらい、今年の7月から【お掃除本舗】さんの仕事も始めることになりました。
――起業後のご苦労は?
人材!本当に一番難しいのは人材の確保です。仕事のご依頼をいただいたら、ちゃんと仕事を回していかないといけない。お陰様で仕事のご依頼はいただけていますが 人材不足が一番の悩みどころです。
――競輪と事業の両立で重んじていることは?
今日は午前中ガッツリ競輪の練習、午後から得意先に顔を出すなど、その時の状況に合わせてやっているので特にスケジュールを決めていません。
でも、1日1回は絶対に自転車に乗ることは決めています。やはり競輪選手あっての事業なので、競輪は絶対おろそかにできません。
――起業したことにより、競輪選手にとって役立つことはありますか?
競輪選手として弱いことが原因で家族に迷惑をかけたくない、かけられないと思っています。ですので、競輪しかなかったら精神衛生上、相当危ないと感じます。でも、ちゃんと戻れる場所があるから、負けた時も「また頑張ろう!」という安心感になっています。仕事でお客さまに会っていろいろな話を聞いたりすることで競輪のストレス発散になっていると思います。
――競輪と起業(デュアルキャリア)、両方でこれからの目標はありますか?
正直、事業があるから、うだつの上がらない成績でも…と自分の中で言い訳して逃げている部分があります。でも、師匠の中川誠一郎さん(85期)と一緒のレースに出たいという夢があって、それを最近また強く思うようになりました。クリップバンドも止めれないところから選手にしてもらった師匠と熊本競輪場で一緒に練習ができると思うと、師匠と走りたいという気持ちが込み上げてきます。
当初は、自分が戻れる場所があり、父の生活に支障がなければいいと考えていました。しかし、妻が私に安心を与えてくれたように、他の選手たちにとっても安心できる場所(仕事)を提供したいと思うようになりました。私の会社をセカンドキャリアの受け皿として位置づけ、現役選手たちがセカンドキャリアについて悩むことなく、安心して競輪選手を続けられる環境を整えたいと考えています。
今までいろんな人にお世話になったので、今度は自分が社会でも競輪でも社会貢献ができればいいです。
――最後にこれから選手を目指す若者たちへキャリア形成についてのアドバイスをひとこと
デビューしてまだ3~4年目なのでアドバイスと言われると、ちょっとおこがましいですが、競輪選手としての寿命は短いと思うので、選手時代に稼いだお金を如何に活かすかをよく考えて欲しいです。起業しても軌道に乗るまでは5~10年はかかると思うので。
競輪は人と人の繋がりの競技だと思うので、人としっかり繋がっておくことも大事だと思います。
今回、吉田悟選手にお話を伺い、吉田選手の情熱と努力に感銘を受けました。信用金庫の営業マンとして成功しながらも、新たな夢を追い競輪選手へ見事に転身を果たした吉田選手。彼の挑戦と決断は、単なる勇気だけでなく、綿密な計画と家族の支えがあってこそのものでした。そして、家族や仲間を非常に大切にしており、優しさのなかに力強さを感じました。
また、競輪選手としての活動と並行して清掃業を成功させている点は、多くの選手にとって大きな励みになると思います。競輪選手としての目標と事業の両立を追求する彼の姿勢は、デュアルキャリアの模範ともいえるものです。吉田選手の今後のさらなる飛躍を心から願うとともに、今回の取材にご協力いただき感謝申し上げます。