大井 崇さん
風を切ってバンクを疾走していたあの頃。
今は、大都会の道を、たくさんの命を乗せて走っている――
元競輪選手の大井 崇(おおいたかし)さん(73期)の第二の人生は、意外にも、私たちにとって身近な「都営バスの運転手」という新たな舞台でハンドルを握る大井さんに、その想いをうかがいました。
――まずは競輪選手時代の思い出をお聞かせください。
いい思い出は、レースで勝って1着を取った時。本当に思い通りの走りができた時はすごく気持ちが良かった。青森競輪場で初勝利の1着。最初の1勝は、今でも覚えています。
逆に悪い思い出といえば、転倒したときですね。転ぶ回数は少なかったんですけど、まぁ痛いし、1回1回の怪我が大きかったので。怪我を機に調子を落として、それを立て直さなくちゃいけないんですが、少しずつ焦らないでやるっていうのが、まぁなかなか難しくて。
あと、競輪と並行して自転車競技もやってたんですけど、競技でも本当に自分の思う通りにスピードがパンって出ると、ものすごく嬉しかった覚えがありますよね。
――通算387勝。400勝まで頑張ろうと思ったりは?
400勝を目指したことありますけど、年齢的にもちょっと無理かなと。
いい就職先が見つかったら、すぐ行こうと思っていたのもあったので…まぁ、正直、できれば取りたかったですけど(笑)
――引退後の生活設計について
20年以上前になりますが、デビュー戦が大惨敗だったんで、その時に、もうこれちょっとまずいかなって。
元々競輪にさほど詳しくなく、父親の勧めで選手になった経緯もありまして、デビュー戦の大敗で、これは数年後に代謝(引退)制度にかかるのではないかと不安に思ったのが最初で、その時に一度考えたことがありました。
それで、漠然とですけど、運転が好きだったこともありトラックの運転手やろうかなって思いまして、32歳くらいで大型2種免許を取得しました。
自営で何かやるというよりもハンドル握って食っていきたいなっていうのはすごくありましたね。
その後、指導者や練習仲間に恵まれたこともあり、S1に昇格できました。その頃は引退なんて全然考えてませんでしたが…いくつぐらいですかね、40歳くらいになると、どうしようかなって考えるようになりました。
――どんな活動をいつ頃から始めましたか?
40歳くらいの時(引退の6、7年前)にネットでどんな仕事あるのかよく調べてました。求人サイトに会員登録したこともあります。あと、ハローワークにも行きました。どんな感じなのか一度見てみようかなぁなんて思いまして。
現役中にアルバイトやってた時期もあります。大型2種免許を取った頃は運転代行なんかもやっていました。セカンドキャリアを考えるきっかけとしては東日本大震災の影響も大きかったですね。
――転職活動での自分軸(どうしたい・やりたい・譲れない点)はありましたか?
まぁブラックじゃなく、労働条件のしっかりした会社ですよね。昔、観光バスのバイトをやってた時期があって、詳しい話は割愛しますがその経験もあって、働いた分しっかりと給与をいただけるホワイトな会社に入り、そこで一生懸命働きたいと思うようになりました。
――引退後、すぐこのお仕事に? 就活でのご苦労は?
はい、そうです。選手を辞めてから背水の陣なんてとてもじゃないけどできないと思って、引退前から就活していました。
競輪ファンに対して失礼かなっていう思いもありましたけど、自分にも家族がいて生活もかかっていましたので。
バス関連で他社も検討したのですが、応募したのは今の会社だけです。
――もしかしてバスの運転手(東京都交通局への就職含め)第1号?
いえ、違う営業所に東京の元選手がいらっしゃったのを入局してから知りました(笑)
そうやってちゃんと競輪選手を受け入れてくれて、競輪選手はとても真面目だと評価してくれる企業が世の中にはある。
私たちOBの役割として、後輩たちの間口を広げ、それを伝えていけたらいいですね。
――今の仕事と出会ったきっかけ、決め手はなんでしたか?
昔、都営バスの求人は、募集条件が35歳未満になっていました。ちょうど大型2種免許を取得した頃、35歳上限だっていうのは知ってたんですけど、あと3年は選手辞めるつもりなかったんで、その時一度諦めているんです。
それが、ある時人づてに50歳に緩和されたのを知り、公式サイト見たら確かに募集してまして。しかも応募の締切りが翌日だったんです。
でもその日は前検日で、競走場に入るともう電話もできないですし、履歴書も書けない。断腸の思いでその時は諦めるしかなかったのですが、次の募集が出たら絶対応募しようと思って…ネットで頻繁にまだ募集出てないかなぁってチェックしてました。
大型2種免許を前もって取得しておいてよかったと思います。それこそ運転代行もできたし、バスのバイトもできましたし、なにより好きなこと(運転)ができたので。
――今、具体的にどのようなお仕事を担当されていますか?
路線バスの運転手です。6、7個ほど路線あって、毎日違うところを走っています。
ひたすら本当にお客様を乗せて降ろしての繰り返しですね。
――お仕事での苦労とやりがいについて教えていただけますか?
苦労といえばやっぱり朝早いことですね(笑)
一番早い時は5時半、毎日時間が違いますから、そこはちょっと怖いですね。やっぱり人間なんでヒューマンエラーがあると思うんで、目覚ましの時刻セットなど間違えないようにすごく気を使いますね。遅刻をすればバスを走らせる人がいない、そうなると会社の信用問題にもつながってきますので、怖いですよね。今でも慣れない。
あとは、お客様を安全に目的地まで送り届けるっていう仕事なんで、やっぱり安全に対してですね。安全確認しながら、基本動作の徹底じゃないですけど、気をつけて走っています。
大きな看板を背負っていますので、お手本となる走りをしなくちゃいけない。その辺は本当に苦労じゃないけど、すごく気をつけていますね。
――お仕事で普段、お客様に対して、人間関係、心構えなど心がけていることは?
選手の頃、競輪学校(現:養成所)でも習いましたけど、お客様は命の次に大切なお金をかけていることを忘れないようにってよく言われたんですよ。
運賃をいただく時もそうですけど、三つ指ついてありがとうございましたというわけにはいかないですけども、それくらいの気持ちで「ありがとうございます」と言うように心がけています。
――ご不満な点や改善するといいなと思っていることはありますか?
欲を言えば…ですが、とてもいい環境で走らせていただいているのですごく幸せです(笑) 年を重ねると企業としては扱いづらい一面もあるでしょうが、50歳の自分を受け入れてくれた。こんないいとこで雇ってくれたんで、私は感謝しかない。自分としては、一生懸命それに応えるように頑張って走りたいと思っています。
――今のお仕事、どんな人に向いていると思いますか?
ルールと時間を守れる人。じゃないと、とんでもないことになっちゃうんで(笑)
――後輩選手の方々にひとこと(引退後後悔のないセカンドキャリアに備えるアドバイスなど)
今後の人生についてよく考えること。
私もそうでしたけど、走れている時はいい、でもちょっと後ろを振り返る時が来ると思うんですよ。その時はよく考えてみた方がいいと思います。
ある程度年齢を重ねて引退となると、家のローンや子どもの大学費用などやっぱりそれなりに背負ってるものもあると思うので、毎月いくら必要なのかを知っておくことが大事だと思います。退職金制度や年金制度もなくなっていることもありますし、家族のためにもね。
いざという時にそういう相談ができる人を周りに作っておくというのも大切なことだと思います。
競輪での輝かしい実績を持ちながら、都営バスの運転手として新たな舞台に立つ大井さん。
選手として培ってきた 「安全への意識」「ファンへの感謝」は、バス運転手という仕事にもしっかりと活かされていました。
ハンドルを握るその手に込める大井さんの情熱は、今も昔も変わることはありません。大井さんの言葉の端々からは、「命を預かる」という責任感、そして安全への意識の高さ、バス運転手としての日々の業務に向き合う真摯な姿勢が伝わってきました。
これからもバスを利用する際は、運転手さんへの感謝を込めて「ありがとう」の一声を忘れないようにしたいと思います。
大井崇さん プロフィール
1994年4月 20歳で競輪選手としてデビュー(73期・茨城)
★通算成績は387勝、優勝18回、選手生活26年
2020年に46歳で惜しまれつつ引退
現在は、都営バスの運転手としてご活躍されています。