山本 光泰さん
「とにかく、思ったら行動する。そこから初めてスタートじゃないですかね」
そう力強く語るのは、株式会社ミッツTransport代表の山本光泰さん。彼の前職は、競輪選手。
そんな彼が頼ったのは、競輪選手時代に鍛え上げた「体力」と「折れない心」。
「やったもん勝ち」を体現する一人の男のリアルな挑戦、その知られざるストーリーに迫ります。
――選手になったきっかけと、現役中に抱いていた将来のイメージを教えてください
単純にサラリーマンになりたくなかったっていうのが昔からあったんですよね。中学は野球部でしたが、高校時代は帰宅部でバイトに明け暮れる日々を送っていました。
いろいろやりましたけど、引っ越し屋が一番長かったかな。その時、自分の時間を持てない正社員の方の姿を見て、絶対こんなの嫌だなと思ったんです。
あとは、元々バイクとか自転車とか「二輪」が好きで、趣味でバイクのライセンスを取得してサーキットを走っていたんですけど、レースはどうしてもお金がかかるんで、それで結構バイトやっていたんですよね。
――選手時代、最も苦しかった時期と、それをどのように乗り越えたかを教えてください
選手になるまでも3年(6回目合格)かかっているんですけど、どうしても独走のタイムが出なくて一次試験に通らない。それでも「やる」と決めたからには、他の選択肢はなくて、選手になる道しか見ていなかった。
愛好会の門をたたき、まずは師匠の渡辺克彦さんについたんですが、その後、永倉通夫さんのグループで鍛え直してもらいようやく合格。練習環境って大事だなぁと思いました。
――選手時代の思い出、記憶に残っていることや最も達成感を感じた瞬間など
立川で完全優勝した時じゃないですかね。(賞状の写真) 立川は相性が良くて。B級、A級両方で完全優勝してるし、まぁS級にはいけなかったんですけど(笑)
今、隣にいる佐藤隆二さん(ミッツTransport社員)はずっとS級だからすごいよね。
――やはりS級の壁は高かったと?
そうですね。伊藤公人さん (埼玉40期)には、「まずはその性格直さなきゃ強くなれないよ」ってよく言われました。脚がないわけではなかったんですが、ものの考え方とか、見方とか、選手時代は全然できていなかった。
伊藤さんには「お前は考えてそうで考えてねえよ」ってよく言われました。今思うと本当にその通りだなと思います。言われたその時はわからないんですよ。だから強くなれなかった。もし今の性格で、今の物事の考え方をしたら、間違いなくもっと成績良かったと思いますよ。
――選手時代、苦しかったこと、乗り越えてきたことは?
正直、苦しいことの方が多いじゃないですか。もう本当に練習はきついですしね。それでも成績がすべての世界だから、やっぱり練習はやっていないとね。だけど、今思えばやっぱり楽しかったですよ。
あとは怪我ですかね。半年休んだ時があったんですが、もう大手術で。腱が全部切れちゃったので、今もプレートや人工のゴムが入っています。3ヶ月入院して、そのあとのリハビリも大変だったんですよね。2つのジムに通ったりして…なんだかんだで復帰できないんじゃないのと言われたりもして。
――引退を決意したきっかけは何でしたか?
これといったきっかけはないんですけど、総合的に考えた結果ですかね。あと、自分が引退した時って、賞金額も下がってた時なんですけど、その3年前くらいから他にも引退を決意する人が結構いましたよね。
自分は生活できないってことはなかったんですけど、やっぱり身体の手入れだ何だって結構な出費で、部品も高い。あとは地元で納得のいくレースができなくなったっていうのもありますね。
そろそろどっかで…と思っていた時にちょうど地元大宮のあっせんが来て、 これはもう手帳を返す(引退) タイミングなのかなって…それまで娘と息子に走る姿を見せたことなかったんでちょうどいいかなと。
――選手時代、セカンドキャリアについて考える機会はありましたか?
頭の片隅にはありましたけど、自転車しか乗ってないじゃないですか、20年近く。じゃあ自分に何できるのって考えた時に、何もなかった、本当に。
パソコンだって今の仕事を始めてから初めて触ったくらいで。
あと、ビジネスマナー的な言葉づかいにも苦労しました。本とか結構買いましたよ。得意先に送るビジネスメールの書き方とかもそう。
――引退後の生活設計についての不安は感じてましたか?
お金よりも選手をこのまま続けていていいのかなっていう思いがありました。
たまたまこの仕事をやった時に、ある程度稼げたのでお金はなんとかなるかなって思っていました。なんとなくなので、甘い考えだったかもしれませんけど。
——選手時代から将来を見据えた投資や学び、活動などはありましたか?
選手の時には、そんなの一切考えたことないです。お金があれば使っちゃってましたから(笑)
高橋洋一さん (東京47期)が、現役時代から株とかやっていたらしいんですけど、当時は興味なかったんで。
でもこの仕事始めて5年くらい経った頃かな?ある程度の収入が得られるようになってから、今流行りの投資信託じゃないけど資産運用的なこともしたほうがいいのかなって考えるようになりましたね。
——選手時代から変わらない、大切にしていることはありますか?
永倉さんからもよく言われていて、今は社員にもよく言うんですけど、挨拶ですね。挨拶は、お金がかからない、されて嫌な人はいない、当たり前のことなんですけど、意外と運送業界でもできない方が多いんですよ。なので、当たり前のことをやっているだけでも差別化になっちゃうんですよ。
——もし選手時代にタイムスリップできるとしたら、引退後に向けてどんな準備をしますか?
もっとお金を貯めるんじゃないでしょうか。手元に一銭もないくらい使っていたので(笑)
会社設立するにも資本金って必要じゃないですか。今の若い選手たちは、退職金制度もないので自分で積み立てていかないとですし、物価も上がってますから大変ですよね。
——異業種への挑戦、競輪選手からビジネスマンへの転換で、特に苦労した点は?
何がとかではなく、すべてです。すべて。ほんとうにもう…(噛みしめるように) 何も知らないで放り出されたって感じでした、まぁ自分から辞めたんですけどね。
よく言うんです、みんな考えてはいるんだけど、考えるだけで終わっている。やったもん勝ちじゃないけど、やった人にはもう敵わないんでね。
のちに宮田 達也さん(埼玉67期)を雇用するタイミングでトラック始めるのに必要な社会保険も整備することを決めたんですが、その時が一番悩んだというか、もう腹をくくりましたよ。宮田さんの家族のことも考えるとね。
——選手時代の経験、培った能力は、今どのように活かされていますか?
体力は普通の人よりもあるのかなって思います。この仕事始めて、最初の3、4年間は、(軽自動車で) 走りながら飛び込みで営業もしていたので睡眠時間が2、3時間でしたからね。すべてアポなしの飛び込み営業、頑張っていましたよ。
今は結構紹介も増えてきましたが、それでも今請けている仕事の9割が、自分の飛び込み営業です。アポなしで100社突撃して1社取れればいいくらいの確率でしたが、セキュリティとかも厳しい時代ですから、敷地内に入っていくのも難しくなりましたね。
——従業員に元競輪選手も。従業員の採用や育成で、特に重視していることは何ですか?
第一印象ですね。最初に面接した時のイメージが結構大きいですね、眼の色の違いとか。実際それで採用した社員は、今も活躍していますよ。
——会社設立時に特に重視したポイントは? (資金調達などは?)
いや何も考えてなかった…(汗) ただ資金なんかは、顧問の税理士さんとかに相談して、公庫から借り入れは当然したし、借りて返しての繰り返しで実績を作って、いつでも自分が必要な時に引っ張ってこれるようにはしています。
——運送業界、ライバルも多いでは? 生き残るための差別化ポイントは?
「人」じゃないですかね。
——選手時代とビジネスマンの両方を経験して得た教訓や感じることは?
これも同じで「人」が大事ってことなんじゃないかな。仕事は一人でできるわけではなく、他の人に動いてもらって成り立つ仕事なので、そこがね、選手の時と違うんでね。
——「元選手」という肩書きや経験を活かす機会はありましたか?
選手とはいえ、やっぱり自転車降りたら、ただの人ですから、あえて何も言わないようにしていました。ただ、礼儀とかコミュニケーションとか上下関係のある世界で学んだことは大いに活かされています。
——ずばり、今の仕事で最もやりがいを感じるのはどんな時ですか?
うちは食品と医薬品だけの配送ですけど、誰かのためにはなってるでしょうし、あとは社員が幸せになってくれるのが一番。
三方よしじゃないですけど、社員が幸せになれば、お客さまも幸せになり、おのずと会社も幸せになる。そういう意味では、周りにいる人間が幸せになれるプラットフォームじゃないですけど、一つの形になれたらいいんじゃないですかね。
——なぜ医薬品と食品に特化されたんですか?
起業した時は、冷凍食品やアイスなどの食品だけ。それ1本でしたが、どうすれば単価が上がるか、短時間で効率的に稼ぐにはどうすればいいかなどを考える中で、始めたのが医薬品。これに関しては、荷物の扱いが厳しく、ある程度の初期投資も必要なので、要はライバルが少ないブルーオーシャ
ン的な分野なんですよね。ただ、その分の対価はちゃんとある。
ちなみに最初に頂いた仕事はスリッパなんですよ。二度とやらないと思いましたね、いろんな意味で(笑)
言えるのは、嫌々仕事はしたくないと自分の中で決めていて、その嫌なことを社員にやらせるのも嫌でしたから。
——今後の展望、会社や個人として挑戦したいことは?
会社を始めた時から決めていることなんですが、とにかく仕事が来たら断らない。依頼されたってことは、期待されているということなので。
ある意味、車券と一緒ですよね。期待されたら、それに応えるのが筋だと思っています。
そういう意味では、仕事を取っていくのと人を増やすのと、それを並行して同時進行でやっていかないと、広がっていかないので。今もその積み重ねです。
——ご自身の経験をもとに一歩踏み出すコツや覚悟について
言葉じゃなくて行動ですね、とにかく動くこと。
「やります、やります」って言う人ほどやらない。やる人は何も言わないでやってますから。ただ、自分は思いついたらパッてやるタイプなので、周りが困っちゃう時があるかもしれません。
普段の積み重ねで信頼関係が築けているからこそですね。仲間(従業員)は、どこに出してもおかしくないくらいの仕事っぷりだと、自信を持って言えますから。
——ここで信頼関係が築けているのか、従業員の方々にも聞いてみました 「社長はどんな人?」
(Tさん)
気さくで結構おしゃべり好き。一見すると何も考えてなさそうで、適当な感じにも見えるんですが、実は大変さとかを表に出さないだけで、裏ではいろんなことを考えて、従業員のこともよく見てくれていると思います。尊敬するいい社長です。
(Yさん)
釣りの趣味を通じて知り合ったのですが、前の会社を退職するタイミングで本当に助かりました。社長は、自分で抱え込んでいる部分がまだ多くて、ずっと気が張ったままなので、それを少しずつ引き継いで、負担を減らせたらと思っています。
(Fさん)
就職で苦労する年齢でありながら、面接のチャンスをくれた社長にはとても感謝しています。職場の雰囲気もいいし、居心地はとってもいいです。
20年くらい前に出会えていたら、もっとよかったのにと思うくらいです。
——若い世代へ前向きに歩むためのメッセージをお願いします
もう、とにかく思ったら行動!そこからスタートじゃないですかね。自分にも言い聞かせているんですけど、良いも悪いもまず動かないと始まらないのでは。
まぁ言うのは簡単なんですけどね(笑)
選手になるまで3年、合格を信じてペダルを漕ぎ続けた日々。
引退後、睡眠時間を削って飛び込み営業に奔走した日々。
山本さんの人生は、まさに行動の連続によって切り拓かれてきました。
山本さんが築き上げたプラットフォーム(会社)は、これからも多くの人を乗せ、冷たいながらも心温まる荷物と共に走り続けていくに違いありません。
この記事を読み終えた今、もしあなたの心に「やってみたい」という小さな火が灯ったのなら、まずは動いてみてはいかがでしょうか。
山本光泰さん プロフィール
1997年08月 22歳で競輪選手としてデビュー 80期・埼玉所属
通算成績は164勝、優勝6回、選手生活約17年2か月を経て、2014年10月に39歳で引退
現在は、運送会社の株式会社ミッツTransport代表取締役として活躍中!
🚚仲間募集中🚚😊
社長直通📱
070-2181-3255