村田 敏郎さん
お話をうかがったのは「といこ療術院」を経営されている元競輪選手の村田敏郎(むらたとしろう)さん(60期)。
現役時代に通われていた整体で、先生が患者の痛みを抱えた部分を魔法のように治す技術に魅力を感じ、資格を取得。
引退後、紆余曲折がありましたが原点に戻り、資格を活かし開業。地域の皆さまに愛され活躍されています。
――選手時代の思い出をお願いします。
宿舎での選手達との交流が楽しかったです。でも他県の人だと、その後のレースが一緒になった時に、ちょっと気まずいですけど(笑)
なんか辛かったことよりも楽しかったことばっかり。もう辛いのは当たり前やったんで。競輪学校時代も辛かったけど、あれはあれで楽しかったかもしれんですね。ちょっと懐かしい。
あとは、全国各地の競走場のあっせんに行った時は、最終日にどこのご飯を食べに行くか調べたり、地元の選手においしい店を聞いて「予約取りますか?」「お願いします!」なんてやり取りをして楽しかったですね。
僕がデビューした当時は、記念レースにS級選手のお付きでA級も出られたんですよ。そこで1着を取ったらテレビで勝利者インタビューが放送されるので、それはもう頑張りましたね。
痛い思い出なんかもありました。小倉競輪場はバンクが硬くて、そこで1回転して尻もちついたみたいにコケて尾骨が折れましたっけね。あの時は、どこにいるか分からなくなって何かしゃべったら「村田が、あほになっちゅう」って担架で運ばれました。みんなが「やっぱり小倉は硬い」って言いますね(笑)
――引退を意識し始めたのは?
デビューした時から、何歳までできるかな?と意識していました。
そして年齢的にも山を下り始め、負けが重なってB級に落ちて尻に火がつき、A級に上がれてもジリジリいくしかない、となった時に考えましたよね。35歳を過ぎたあたりですかね。
でも、その時は何をやろうかとかは全然考えていませんでした。
今の仕事についても、人の体なんて分かるわけがないと思っていたので、ただのマッサージくらいならいいかな、という程度でした。
――整体師の資格を取得した経緯は?
引退した後に何か資格を持っちょっといた方がええがと思って、現役時代から通っていた先生の団体「厚生労働大臣許可 財団法人 全国療術研究財団 療術師研修課程終了認定之章」の資格を取得しました。先生が痛みを抱えた部分を魔法のように治しているところに魅力を感じていました。
――起業した時期は?
僕ね、最初は居酒屋をやりました。引退してすぐにフランチャイズ的な居酒屋に乗っかって始めたんですけど、素人が始めるのは厳しかったですね。
やってもやっても微々たるものなのに、ロイヤリティーを取られて。そして東日本大震災もあり、街から人がいなくなってしまって、開店していることがしんどくなり、震災の次の年に辞めました。それでも飲食店の借金も返さないかんので、合間合間に続けていた整体を、飲食店を辞めると同時に開業しました。
――「といこ療術院」開業後のご苦労は?
最初の2、3年が本当に辛かったですね。朝から晩までお店を開けて宣伝もしましたが、お客様が入りませんでした。でも、競輪選手だったおかげで選手宿舎に入れて、それが大きかったです。諸先生方の施術を競輪選手が受けているのを見せてもらえて運が良かったです。その間も時間があれば方々へ勉強しに行きました。YouTubeを見て、この先生は間違いないと思ったら訪ねて、その先生と仲良しになって勉強会をやりましょうと企画をしたり セミナーに参加をして仲良くなった人と技術の情報交換をしました。今でも訪問させていただいた先生やセミナーで出会った仲間と続いています。
――なにか転機はありましたか?
日々の勉強と施術を積み重ねる中で、先生たちの言っていることが、なんとなくピンとくるようになってきたのが開業から3年目でした。
母が地元のお店を紹介する高知新聞の特集に応募してくれて、開業3年目で取材を受けることになりました。力もつき始めたタイミングで取り上げてもらえたのは、本当に良かったと思っています。
もし開業したばかりの頃に掲載されていたら、まだ腕も十分でない状態で「新聞を見ました」とお客様が来てしまい、大変なことになっていたかもしれません。
その後も地元の高知ケーブルテレビで取り上げていただきました。ある程度、技術が身についてから紹介していただけたのは本当に運が良かったです。
今でも「新聞やテレビを見ました」と来てくださるお客様がいて、とてもありがたいです。その分、ハードルは上がりましたが。
――競輪選手時代の経験が役に立っていることは?
向上心です。今日よりも明日、自分はこうなりたいっていう高い目標にむかう、その向上心でしょうかね。それに競輪時代に培った筋肉の動かし方やメンタルの話は説得力があり、アスリートのお客様にお話ができるので、選手人生は役に立ったことばっかりです。あとはコミュニケーション能力かな。元々、人見知りせん性格とお調子者なので、競輪仲間からは「いらんことすな!」って、けっこう怒られたんですけど、今になって僕はそれが良かったかなと思っています。僕が元気じゃないとお客様も元気にできないと思っているので。
――この仕事のやりがいは?
競輪選手は体力がだんだん下がっていって体が追いつかなくなりますが、整体はずーっと勉強も練習もできるもんね。自分のやる気がある限りは、ずっと成長できる職業なので、いい仕事を見つけたなと思っています。まだまだ覚えることがいっぱいあるところも面白くもあり、奥深くてやりがいがあります。
欲深いので、全部知りたい。
最近は、お客様じゃない買い物帰りのおばちゃんとかが、コーヒーを飲んで帰ったり、お菓子を持って来てくれたり、気楽にいろいろな人が遊びに来てくれて、それも楽しいです。
――整体師の留意点とおすすめポイントは?
留意点は、お客様ファースト!人との向き合い方を真剣に考えて、個々に合わせたやり方の引き出しは持っとかなきゃいかん。まずは勉強!ずっと勉強ですけど…。
正解がわかった気になって自己満足に陥ってしまわないことです。お客様ごとに新しい正解があります。僕もわかった気になったことがありました。そんなときは、やっぱりお客様が減っていったりするんです。
なので、やり方をいろいろと変えて、それもダメなら、じゃあ戻してみようと、間違っちょうとったら戻らなあかん。花には蝶が、ゴミにはハエが寄ってくるように、お客様は鏡です。
お客様の要望は、「時間が空いた時に考えます」とかじゃなく、言われた瞬間に変えていくことです。
おすすめは、飲食をやっていた経験上、整体は在庫を持たんでいいから助かりますね。整体は自分の腕一本あれば、方々へ行けるわけですよ。宿毛市や大正町へ呼ばれたら「はい!」って。
宣伝にもなるので居酒屋に行ってやったりもするんです。フットワーク軽く行けて、自由度があるところが魅力です。
――現在も輝き続けている秘訣は?
僕は、毎日同じことの繰返しの平凡な生活ではなく、日々、どこかに行ったり、人に会ったりして行動している生活がいい。趣味でもなんでも良いので、いろいろな人と出会って常に新鮮な空気を吸うことですかね。
――あとに続く現役選手、後輩の方々にセカンドキャリアのアドバイスをお願いします。
いつかは辞める時がくるので、危機感を持っていろいろなことにアンテナをはっちょかんといかん。選手みんなが先生ですから、選手に聞くのが一番ですね。
同期だけとかじゃなくて、OB、先輩、後輩とか、いろんな人と顔繋ぎしておくことは大事です。自分だけの考えやったら間違った方向へ行っても、誰も止めてくれんので。
さっき資格の話をしましたが、持っていても邪魔にならないし、その資格が活きることがあるので、興味があるものは取った方がいいですね。
気を付けてもらいたいことは、辞めるまでに「いらん借金すな! 辞める前に備えておけ!」ということですね。
そして練習は手抜きせずに、今ここで踏み出さなぁいかん時に踏めるようにしてください。今日やったことが明日に活きるだけではなく、いざという時に活きてくるので。
競輪選手から整体師への転身に至るまでの経験談は、数々の苦難でしたが村田さんの持ち前の明るい性格でポジティブにお話をうかがうことができました。現役時代の小倉競輪場での尾骨の骨折という痛ましい出来事は、選手生活における大変さを象徴していたと思います。そして、飲食店経営の撤退や整体院の立ち上げのお話をお聞きして、セカンドキャリアの難しさを痛感しました。 しかし、そのような困難に直面しながらも、村田さんの向上心や、顧客との温かいコミュニケーションが成功の鍵であったことが伝わってきました。これからも、お客様の気持ちに寄り添った対応で末永く繁盛していただきたいと、Tキャリとしても心より願っています。
村田敏郎さん プロフィール
1987年9月6日デビュー(60期)
★選手生活23年 通算成績196勝
2010年1月21日に惜しまれつつ引退
現在は、高知市で「といこ療術院」を開業されています。