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「競輪で得た出会いと経験が、今の経営に活きている」
元競輪選手が語る“辞めても輝ける道

江浦 憲誠さん

電気工事会社 競輪選手/79期

1996年にデビューし、2013年に引退した元競輪選手・江浦憲誠さん (78期)。
6度目の挑戦で競輪学校に合格し、約17年にわたって全国を転戦し、数えきれない仲間やファンとの出会いがあり、発走機の前で味わう極限の緊張感とプレッシャーにも立ち向かってきました。
現在は地元熊本で電気工事会社を経営し、8名の従業員とともに地域に根差した仕事を手がけています。
現役時代の思い出から引退を決意した背景、そして経営者としての歩みについてお話を伺いました。

――競輪選手になったきっかけは?

小学生のころから「競輪選手になりたい」と思っていました。父と一緒に通っていたトレーニングジムで知り合った方が競輪選手で、僕に「自転車に乗るとお金持ちになれる」と言って会うたびにお小遣いくれて(笑)。その言葉が強烈で、小学校の卒業アルバムにも「競輪選手になる」と書いてい ました。
でも実際の道のりは簡単ではありませんでした。当時は年に2回試験があったんですが、僕は6回挑戦してようやく合格。周囲の仲間が次々と合格していく中で、「自分は選手になれないのでは」と何度も心が折れそうになりました。「これで落ちたら諦めよう」と挑んだ最後の試験で自己ベストを更新し、ようやく合格できたんです。

――デビューから引退までで印象に残っているレースは?

やっぱり引退レースですね。厳しいことを書くことで有名な競輪専門紙「コンドル」の記者さんが、レース開催中の3日間ずっと僕のことを書いてくださったんです。最終日には「誰からも愛された江浦憲誠」と紹介してもらって、それは今でも宝物です。お客さんからも「いい選手だった」と声をかけてもらえて、本当に嬉しかったですね。
ほかにも思い出深いレースはありますが、最後にあの言葉をいただけたことで「やってきて良かった」と心から思えました。

――現役生活での思い出を教えてください。

遠征先での出会いが一番の思い出です。レース後に他県の選手たちと輪になって酒を酌み交わしたり、地元の人にご飯をごちそうになったり。食文化の違いに驚くことも多く、お寿司屋さん以外で赤味噌の味噌汁を初めて飲んだ時は衝撃でした。
また、競輪場の食堂で自然に人が集まって酒を飲む時間も大好きでした。他県の選手とも1時間もすれば打ち解けて、わいわい盛り上がる。レースの時は敵同士でも、夜は仲間として語り合える。その独特の雰囲気は競輪ならではの魅力だったと思います。
そして何より、全国を旅できるのは選手の特権です。富山や高知など、普段なら行く機会のない土地に行ける。いろんな人との出会いが本当に貴重な経験でしたね。

――引退を決意したのはいつ頃ですか?

賞金が下がり続け、競輪場の廃止も相次いでいた時代でした。デビューした観音寺競輪場や門司競輪場がなくなり、身近で引退していく先輩たちを見て「自分もいつかは…」と意識せざるを得なくなりました。 僕自身の成績も徐々に落ちてきて、「A級3班に落ちたら辞める」と決めていました。38歳のときにその状況となり、引退を決意しました。

――引退後はどのような道を考えましたか?

「お客さんを待つ商売はしない」と決めていました。飲食やマッサージなどは集客が難しいし、競輪しか知らない僕には難易度が高いと感じたんです。そこで兄から「水か電気を選べ」とアドバイスを受け、インフラである電気工事の道へ進みました。
最初は全く知識がなく、就職先でゼロから学ぶところから始めました。2年間勤めた後、熊本地震をきっかけに独立。周囲からは「まだ早い」「失敗する」と止められましたが、「今しかない」と思って踏み出しました。

――経営者として大切にしていることは?

目標を常に掲げることです。5年で売上1億円、10年目の時には下請けではなく元請けで仕事を取れるようにする、と計画を立て、実際に少しずつ実現してきました。そして「元競輪選手を雇える会社にしたい」という思いもあり、今は弟子だった元選手も働いています。現役時代に感じた孤独や不安を、次の世代には味わってほしくないんです。
資金繰りでは苦労もありました。開業時に支払いと入金のサイクルが合わず資金ショートしかけたこともあります。そんな時に助けてくれたのは、やっぱり人とのつながりでした。信頼していた方が「きついのは分かっとるけん」と資金を工面してくださり、乗り越えることができた。出会いと縁の大切さを痛感しましたね。

※高校生へ電気工事のお仕事説明

――競輪選手時代の経験が役立った場面はありますか?

「競輪選手」という肩書きは大きな武器になります。建設業界には競輪ファンが多く、「江浦くん、あの佐藤慎太郎と同期だろ?」と声をかけてもらえる。そこで実際に電話をつないで信用を得ることもありました。普通の人には真似できない、選手ならではの強みです。
あと、「選手時代のプレッシャーを乗り越えた人なら、どんな世界でもやっていける」と信じています。発走機についた瞬間のあの張り詰めた空気、人気を背負った時の重圧、落車の恐怖、あの独特の緊張感は、社会に出てから味わうどんな困難にも勝るものだと思います。だからこそ、競輪選手を経験した人なら必ずセカンドキャリアでも力を発揮できるはずです。

――今後の展望について教えてください。

まずは会社をさらに成長させたい。そして、競輪選手が安心して引退できる環境を作りたいと思っています。現役中から出会いを大切にし、社会を知ること。そうすれば引退後の選択肢が広がります。
僕自身も、選手時代に出会った人脈や学びが今の経営につながっています。固定観念にとらわれず、自分を変える勇気を持つこと。それが新しいキャリアを切り拓くカギだと思います。辞めても輝けるということを、後輩たちに伝えていきたいですね。

――最後に、現役選手やこれから引退を迎える方へメッセージをお願いします。

ファンとの出会いや交流を大事にしてください。その人たちの仕事や人生を知ることで、自分のセカンドキャリアのヒントが必ず見つかります。競輪しか知らないままだと選択肢は限られてしまいますが、出会いを大切にすれば辞めても輝けます。
僕自身がそうだったように、仲間とのつながりやプレッシャーを乗り越える力は必ず人生の武器になります。それをどう活かすかで、引退後の道は大きく変わるはずです。

インタビューを終えて

江浦さんは「選手時代の経験は、辞めた後にこそ活かせる」と何度も語っていました。レースの緊張感や人との出会いを力に変え、経営者として 活躍する姿は前向きで、取材しているこちらまでパワーをもらえたように感じました。
また、「他県の方からでも起業の相談ならいつでも歓迎しますし、自分の経験は惜しみなく伝えたい」と心強いお言葉もいただきました。飾らず気さくに「なんでも教えるよ」と言える江浦さん。その人柄こそが、多くの人を自然と惹きつけているのだと感じました。
Tキャリ事務局一同、江浦さんの今後の活躍を心より願っています。

江浦憲誠さん プロフィール

1996年8月9日デビュー78期
★現役生活17年 通算成績90勝
2013年7月4日に惜しまれつつ引退
現在は熊本県にて電気工事会社「株式会社ライトオン」を経営

掲載日:2025年9月12日
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