池田 大輔さん
さまざまな試練と向き合いながら、自らの力で成長を遂げてきた池田 大輔(いけだだいすけ)さん(80期)。競輪選手としての鋭い観察力とセルフマネジメントの技術を武器にし、引退後は障がい者就労支援事業所「あっとほーむ」で利用者の方々の自立支援という新たな挑戦に取り組んでいます。
なぜ福祉の道を選んだのか。その背景には、幼い頃から受け継いだ「指導」への情熱と、競輪選手としての豊富な経験がありました。選手時代の経験で培われた洞察は、今の職場で人々と正面から向き合い、支援を行う上での大いなる基盤となっているようです。
今回の取材では、選手時代から現在に至るまでの貴重な体験について語っていただきました。
――まずは競輪選手時代の思い出をお聞かせください。
代謝(引退)になりそうな危機も結構ありましたが、それを乗り切って最後は気持ちよく終わらせてもらった感じです。20代の時は、みんなと練習してもついていけず、本当に選手として弱かったんです。
それで公務員の父親にバイク誘導してもらったりして、小さい頃からスポーツなど指導するのが好きな人だったので、なにかと頼っていました。そんな父親が25歳の時に亡くなり、その時はさすがに悩みました。不安のなか、夜中にふと目が覚めた時、父親から受け継いだ指導のノウハウが自分の中にはあるじゃないか、そうだ「私が私を指導すればいいんだ!」と気付いたんです。でも、それに気付くのに5年ぐらいかかってしまった(苦笑)
そこから、スポーツ監督の本などを読み漁って、勉強していったら、どんどん成績が上がっていきました。手帳に練習内容を記録するようにして、目標や計画を立てたりするうちに、タイムも上がり、1着が取れるようになったんです。そうしたら、なんかちょっと楽しくなってきて(笑)
トレーナーとかあまり流行っていなかった時代に自分でセルフマネジメント。体力とか筋力的には負けるかもしれないけど、無駄に記憶力が良かったですね。
例えば、対戦する相手のセッティング、フレームの色、クランクの長さ、調子の良し悪しなどほぼ覚えていたくらいに。
――引退当時のセカンドキャリア事情について
あの頃は、柔道整復師などの勉強をされていた人もいたんじゃないかな。引退がちらついてきた時に、練習時間を少し削りながら勉強する感じでしたね。
――引退後の生活設計について(どんな活動をいつ頃から?)
選手時代は、腰痛がすごくて。39歳頃だったかな、体の使い方を勉強したら重心のかけ方が間違っていたことに気付いたんです。それを正したらすっかり治りまして。
これでもう働けると思って、知人に仕事の相談をしたんですけど、「腰痛持ちなんて雇えないよ」って言われてしまい、あらためて選手として頑張らないといけないなって思ったんです。
落車をきっかけに「まだ辞めたくないな」と思って、また練習して、少しずつ勝てるようになって…。そんなことを繰り返しながら、44歳まで現役を続けることができました。
就職に関しては、私の場合は運が良かったという感じですね。引退後2か月ほどゆっくりしている間に、知人から連絡をいただいて、今の仕事に挑戦することを決めました。
決断を悩んでいた時、ふと思い出したことがあるんです。選手時代に、障がいのあるお子さんがいる先輩と話をしたことがあって、その時に私は先輩にこんなことを言ったんです。
「気を使い切らんとか、手を貸すとかじゃなくて、普通に接しないと逆に失礼だと思う。」
そうしたら先輩が「それでいい。それを願っているんだよ。そうしないと、できることもできるようにならないでしょ?」って。その言葉を思い出しましたね。
私自身、指導者になってみたかったこともあったので、この施設で指導する話もすんなり受け入れられました。
――今、具体的にどのようなお仕事を担当されていますか?
障がい者就労支援事業所「あっとほーむ」では、正月の門松の南天作りや資源物の回収などを通じて、利用者の方が就職や独り立ちするための支援を行っていて、そこで支援員をやっています。
実際に企業へ行って、肉や野菜を切ったりする作業を利用者にやってもらいます。企業によっては作業ノルマがあるので、私自身の負担も増えるのは分かってるんですけど、それでも1回はやらせてみる。もちろん一緒に作業をやることもあります。
できるまで待って、話をして、その場で解決していく。最終的にはみんな就職したいという利用者が多いので、企業から求められる人材を育成していく、そのお手伝いをするっていう感じですね。
今年は、9名の就職が決まりました。おかげさまで、みんなよく頑張ってくれるので、企業様からの評判もいいです。
あとは、4月から障がい者就労支援協議会で事務局の仕事にもチャレンジしています。大変な仕事なのでみなさん敬遠しがちなんですけど、私ができるなら、みんなやるって言ってくれるかもしれないからって菅野代表(当時)に薦められて(笑)
――お仕事でのやりがいやご苦労について教えていただけますか?
育ってくれた時はもちろん、自分の想像を超えて成長してくれた時が一番嬉しいですね。そういう指導をしたいなって、いつも思っています。
逆に成長が予想を下回った場合は、私の指導力不足だと思って反省ですね。
――お仕事で普段から心掛けていることは?
「指導した瞬間から指導者の責任になる、人を指導するときは100%自分の責任だと思ってやれ」という父親の教えが根本にあって、できないことを人のせいにするような指導をしたら絶対伸びない。それだけはもう本当に心掛けていますね。
あと、晩年の競輪選手をずっとやってる感じっていうのかな、代謝(強制引退)になりたくないっていうテンションそのままに、私が成長していかないとみんなも成長していかない、3か月勉強しなかったら縄文時代の人間に逆戻りだぞって自分に言い聞かせながらやっています。
――選手時代を含め、これまでの経験で役に立ったことはありますか?
ここに就職して思うのは、やっぱり競輪選手としての経験が役に立っているなってことです。選手時代に学んだことや心掛けていたことが、私にとって財産になっている、そのおかげで今の仕事にもすんなり入れたんだと思います。競輪場での整理整頓清掃、先行選手への気遣い、ミリ単位での自転車調整、腰痛など身体ケアの研究など、弱いんだけど、負けず嫌いで(笑)
努力した結果があるから20年以上現役を続けられたのだと思います。そうじゃなかったらもっと早く辞めていたでしょうね。あとは、30歳の頃にビーチラグビーやり始めたのも現役続行にうまく繋がったんだと思います。その頃から漠然と指導者になりたいという思いがあって、小学校の野球のコーチをやったこともあります。
――引退後に後悔しないよう後輩選手の方々にひとこと
現役(今)を頑張るってことかな。
今、競輪選手として通用してるってことは、社会に出ても通用するぐらいの経験をしっかり積んでいるし、忍耐力も備えているんじゃないかと思うんです。もちろん、競輪の時のテンションで、行ったら多分ダメでしょうけど(笑)
――今のお仕事、どんな人に向いていると思いますか?
やっぱり面倒見のいい人じゃないですかね。あとは、たくさん弟子持っている人、誠実な人、信用の築ける人などでしょうか。
池田大輔さんとお話をしてみて、池田さんの人生はまさに「挑戦」と「成長」の繰り返しであることを感じました。競輪選手としての長いキャリアを経て、今では障がい者就労支援事業所の支援員として新たな挑戦を続けています。その過程で得た多くの経験や知識は、池田さん自身を豊かにするだけでなく、周囲の人々にも多くの希望と貴重な影響を与えています。
池田さんの誠実さや熱意は、これからも彼を中心に人々を巻き込み、より多くの感動と成長の場を作り出していくことでしょう。
その生き様は、私たちに「過去の経験は、どんな形であれ、未来への糧になる」ということを教えてくれているように感じます。単なる職業の延長ではなく、人としての成長を示すものであり、誰もが持つ可能性を広げてくれるものではないでしょうか。
過去の経験をセカンドキャリアに活かすその姿勢は、現役アスリートの人生にも新たな光を与えてくれるに違いありません。
今後の更なるご活躍を応援しています!
池田大輔さん プロフィール
1997年8月 23歳で競輪選手としてデビュー(80期・長崎)
★通算成績は107勝、優勝2回、選手生活21年5か月
2019年1月15日に惜しまれつつ引退
現在は、障がい者就労支援事業所「あっとほーむ」で支援員としてご活躍されています。