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インコースを何よりも愛した元ボートレーサーが語る「人生のホップ・ステップ・ジャンプ」とは!?

細田 昌弘さん

飲食店 ボートレーサー/57期

アスリートの人たちは、セカンドキャリアでも個性的!
今回は、インパクト大な草加せんべい入り唐揚げの「インどり屋」をはじめ、ユニークな発想と情熱で新たな道を邁進する細田 昌弘さんの人生に迫ります!

――ボートレーサーという厳しい世界を目指したきっかけは?

ボート選手になる方って、身内や親族がボート選手だったっていう方が結構多いんですけど、私の場合は、ボートレースの事前知識はなかったんですよ。
大学受験に失敗して一浪した時に、駅の中吊りポスターでボートレーサーを募集してることを知って、これだと思ったんです! 学生時代は、特に打ち込んだ競技はなかったんですが、元々運動能力は高かったので、やまと競艇学校(現ボートレーサー養成所)は一発で受かりました。

――選手時代の思い出は?

いつも出場選手の中で体重が一番重くて、私は常に減量組でしたね。ごはん (お米)は朝食で一口、あとは炭水化物は取らず、昼食は抜くかバナナ1本くらい。夜はもう野菜中心の生活に、毎日サウナ2時間みたいな感じでした。
自分のライフスタイルになってはいましたけど、それでも減量は辛かったですね。今は、唐揚げの試食の影響であっという間に20kg以上太ったので、ボートに乗ったら潜水艦ですよね(笑)

――選手時代、最も苦しかった時期は?

選手って半期毎に勝率やら何やら決まるんですけど、特に事故点が重なって、事故率を消化しなきゃいけないっていう時期は、メンタル的に結構ストレス。
事故率パンパンで、下手したらクビになるかもっていう状況でも、やっぱりフライングスタート方式なので、スタート行けなきゃ勝てないじゃないですか。そういうシチュエーションになった時って、みんな同じ想いでしょうけど、やっぱ辛いものがありましたよね。

――選手時代、レースの勝ち負け以外で、最も大切にしていた「自分のルール」や「信念」があれば。

兵庫に富好(和幸) さんという選手がいたんですよ。ボートレース史上最強のイン屋で、とても仲が良かったんで心の中では師匠だと思っています。
自分がイン屋になってからは、勝ち負け関係なく心を鬼にして、徹底的にインコースを取ることしか考えなかったですね。
6号艇前付けで深イン100m起こしとかになると、当然スタート助走距離もなくなるし、同体でも叩かれるようなシチュエーションになったりすることはあるんですが、それでもインコースを絶対取るんだって、自分にプレッシャーをかけるように、心を鬼にしてイン取りしてました。
ボートレースは、体重が軽いほうが有利なんですが、私は重い体重に加え、ペラを高回転の出足型にしていたおかげで、ビット離れだけは良くて、インコースを取りに行きやすかったんです。当時ビット離れだけなら日本一だったかもしれません(笑)
このイン屋 (インどり)が、今の店名 「インどり屋」の由来です。

――選手時代、セカンドキャリアについて考える機会や引退を決意したきっかけは?

持病の喘息がひどくて、身体的にもレースを続けるのは非常に厳しい状況になっていた時に、このくらいの年齢で引退すれば、次のステップ (仕事)にもつながるのではないかとセカンドキャリアのことを漠然と考えていたんです。
元々、レースでの事故は結構少ないほうだったんですが、そんな時に立て続けに5節連続で事故に見舞われたことも重なって、なにかのサインが来てるのかなって思っちゃったんですよね。選手生活20数年でこんなこと今までなかったので。
前々から最後はボートレース津で引退しようと決めていたんですが、もしフライング休みに入る前のあっせんがボートレース津だったら引退しろってことかな・・って心にある程度決めて、競技本部に次のあっせんを聞きに行ったんです。そうしたら、本当に「津」だったので、そこで引退することを決意しました。
でも、喘息で体調も悪く、ダースベーダーのような呼吸してましたので、引退してすぐに1ヶ月入院しましたよ。その時、先生に「肺年齢94歳です、普通の人だったら死んでますよ」って言われました。

――もし現役時代の自分にアドバイスできるなら、セカンドキャリアのために何を伝えますか?

色んな知識や教養を身につけるようなこと、引退後のキャリアに結びつくようなことを現役の時からやってた方がいいぞって言いたいですね。
自分の時代は、プロペラ戦争っていわれる時代だったので、もう少しプロペラに投資 コしておけばよかったかな。
いわゆる研究開発ですよね、今の仕事に関してもどんどんイノベーションしていかないといけないと思っています。当時の自分はまだ若かったので、そのノウハウや考え方の組み合わせっていう意識がなかった。
飲食業始めるにあたっても経営も経済も全く知識がなかったので、引退後に埼玉大学の経済学部に入って経営学を学んだんですよ。それで、ノウハウを得るためにはこういった知識が必要だってことに気付いたんですね。
飲食経営の経験含め、今の記憶を持って当時に戻れるなら、行き当たりばったりじゃなくPDCAサイクルを回せるだろうし、当時の自分は、そういった能力が欠けていたように感じます。

——なぜ「から揚げ」を? 「草加せんべい」を衣に使うアイデアは?

当初、鳥料理専門店「インどり屋」というコンセプトで、チキンカレーから始めたんですが、地元の食材を利用してなにか料理が出来ないかと考えた時に、草加市と言えば草加せんべいじゃないですか。うまくコラボできないかと思い、唐揚げの衣に草加せんべいを砕いてまぶしたところ、カリカ リサクサクの食感で、冷めてもベチャッとしない絶品唐揚げが出来たんですよ。
「草加せんべい」と「唐揚げ」だから「そうからあげ」。唐揚げの本場、大分県のありとあらゆる唐揚げ屋さんを1週間ほどかけて巡ったりもしましたね。

—— 「からあげグランプリ」の連続金賞受賞や、ローソン 「からあげクン」の監修など、大きな成功を収めていますね!

2010年にメニューを唐揚げに特化したところ、当時の唐揚げブームにうまく乗ったこともあり、多くのメディアが取り上げてくれました。ローソンのからあげくんシリーズ「醤油せんべい味」を監修販売もさせて頂いたり、瞬く間に全国区になりましたよ。
本当にラッキーだったと思います。

—キッチンカーやイメージソングの制作まで。単なる飲食店経営に留まらない「エンターテイメント性」へのこだわりはどこから来ているのでしょうか?

実は、もともと声の仕事したいと思っていたので、引退後すぐにアナウンスアカデミーに通い、2年ほどみっちり勉強しました。卒業後に声優やナレーターの仕事を始めたのと併行して今の「インどり屋」を始めました。子どもの頃から食べるのも料理するのも大好きだったので。
喘息で声の仕事は続けられなくなりましたが、よくなったら再開したいと15年くらいずっと思っていました。それで、一昨年、去年と現代医学のありとあらゆるぜんそく治療 (治験)を試した結果、かなり治まったので、エイベックス系列のオーディションを受けたところ、2万人の中から選ばれし候補生40名の中に入れたんです。
それで昨年「KaraAgeAgeAge (カラアゲアゲアゲ~)」の曲をリリースするに至りました。全国の唐揚げボックスもとい、カラオケボックス (ジョイサウンド)で歌えます(笑)

インどり屋テーマソング 細田さんがリリースした楽曲「KaraAgeAgeAge(カラアゲアゲアゲ~)」

※通信環境の良い場所でご視聴ください。

キャプテンマークスというイメージキャラクターをつくって、イベントで自らコスプレやったりもしてますけど、お祭りやイベントにも積極的に出演させて、唐揚げ販売とリンクさせていくことで、食とエンターテインメントの融合を狙っています。また、映像などのプロデュース依頼もあったりするので、会社立ち上げようかなとも思っています。これが今後の本業になる予定です(笑)
ボートレーサー時代が「ホップ」、飲食関係が「ステップ」で、このアーティスト (エンターテインメント) 活動が「ジャンプ」だと考えていて、色々ありましたけどここまでは、ほぼ青写真通り順調に進んでいると思います。
キッチンカーもボートレース場、野球やサッカーのスタジアムなど大忙しです。

――選手時代に培った経験、能力、考え方など、今に活かされているものはありますか?

ボート選手って、強制的に何事も素早く行えるような英才教育を受けているので、その辺は今の仕事でも役立っていると思います。手際よく、器用に、 無駄なく作業が出来るのは、やっぱりボート選手時代に培われたものだと思っています。

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――ライバルも多い飲食業界、生き残るための差別化ポイントは?

唐揚げ専門店として特化したのは、正解だったと思います。飲食の世界では、専門店の方がお客さん受けがいい、そのほうが成功するんじゃないかと思いますね。
あとは、情報リサーチや行動力は得意とするところです!

――すばり、今の仕事で最もやりがいを感じるのはどんな時ですか?

今やっていることを仕事じゃなく、全部遊びだと思って大好きなことをやっているだけなんですよ(笑)
過労死って言葉がありますけど、遊びすぎて死んじゃったって人はたぶんいないと思うんですよね。だから楽しい、苦にならない。そういうのって生活していく上で大切なことだと思うんです。
でも最近ちょっと遊びすぎて、疲れてますけどね(笑)

――お客さまとの印象的なエピソードがあれば教えてください。

「KaraAgeAgeAge (カラアゲアゲアゲ~)」の歌詞が、日本全国横断して唐揚げ行脚するっていう内容なんですけど、それ実話なんです。沖縄以外、全国を回りましたが、地方での人との触れ合いが一番!
子どもがファンになってくれたり、たまに後輩のボート選手が来てくれたり、そんな人と人との触れ合いがなにより嬉しいし、楽しいですね。

――今後の展望、挑戦したいことはありますか?

本店の方をちょっと改装して本格的にチキンケバブやろうと考えています。トルコ人の友達もたくさんいるし、ケバブマシンもすでに2台あるんですよ。でも本場のケバブを食べたことがないのにやるっていうのが、私としては許せなくて、実は先月トルコの方に行ってきました。
やっぱり、本場に行って、文化に触れて、人に触れて、そこの食材に触れてからじゃないと失礼だと思ったので。併行してテーマソング第2弾 「ケバブ行進曲」の制作活動も始めています。
世界中の鳥料理とコラボすることで、「世界中の人と手を取り合うことが出来る」というコンセプトで、世界進出、目指せジャパニーズ カーネル・サンダースで、色んなプロジェクトを企画中です(笑)

――色んなご経験をされてきたと思います、一歩を踏み出すコツや覚悟について伺えますか?

アントニオ猪木さんの「この道を行けばどうなるものか 危ぶむなかれ 危ぶめば道はなし 踏み出せばその一足が道となりその一足が道となる迷わず行けよ 行けば分かるさ行くぞーっ!」って言葉にもあるように、やってみなきゃわからない、躊躇しちゃ絶対ダメだと思うんですよね。
人生の時間って限られているので、やらなきゃ損!躊躇せずに、自分の感性とか、自分を信じてやりたいことをやるってことがいいと思うんですよ。
私の座右の銘は、臨機応変幻自在(臨機応変と変幻自在の合体)。
人も企業も常に変身、変化、変貌していかないと、イノベーションにならないってことなんです。

――今だから言える、若い世代へ、人生を前向きに歩むためのメッセージをお願いします。

今の私から言えるのは、「臨機応変幻自在」で常にイノベーションをしましょうっていうこと。
挑戦し続ける中にしか答えは見出せないと思っています。

インタビューを終えて

「臨機応変幻自在」をモットーに仕事を遊びに変え、大好きなことを追求する姿勢で、新しい挑戦を続ける細田さん。
ボートレース、唐揚げ、そしてエンターテインメントまで、一見バラバラに見える経歴も、細田さんの中では「挑戦」という名の一本線でつなが っているように感じました。
ジャパニーズフライドチキンでジャパニーズ カーネルサンダースおじさんを目指し、皆を笑顔にする細田さんの今後益々のご活躍を心から祈っています。
「踏み出せば、その一足が道となる」――
あなたのネクストキャリアも、今日の一歩”から始まるかもしれません。
鑄躇すれば道はなし。細田さんのように、まずは楽しみながら、その一歩を踏み出してみてはいかがでしょうか。

細田昌弘さん プロフィール

1985年9月
 21歳でボートレーサー(埼玉57期・登録番号3221)としてデビュー
2007年2月
 津フェニックス賞を最後に42歳で引退(選手生活約22年)
 通算1917戦234勝

2009年
 鳥料理専門店「インどり屋」をオープン
 ※店名の由来は、インコースをとりにいく競艇のレーススタイル&とり料理をかけています。
2011〜2016年
 からあげグランプリ6年連続金賞受賞をはじめとする多くの賞を受賞
 ・キッチンカー「レッドフェニックス号」にて日本全国のイベント出店多数
 ・ローソンのからあげくんシリーズ「醤油せんべい味」を監修販売
 ・TV出演歴多数
2024年
 オリジナルテーマソング「KaraAgeAgeAge(カラアゲアゲアゲ〜)」リリース

掲載日:2025年10月24日
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