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46歳で学び直し、接骨院を開業――
元競輪選手・西森功さんのセカンドキャリア

西森 功さん(旧姓:濱口)

柔道整復師 競輪選手/55期

今回は引退後、香川県にある柔道整復師の学校に三年間通い資格を取得し、地元、高知市で一般の方や現役アスリートが通う接骨院を運営 (開業: 2019年) されている元競輪選手の西森功(にしもりいさお・旧姓:濱口)さん(55期)にお話を伺いました。

――まずは競輪選手時代の思い出をお願いします。

思い出かぁ。そうですね。選手宿舎での夕食やその後の休憩時間が同期会みたいで楽しかったです。やっぱり同期が一番気心も知れている近い存在なので。あとは自分ではないですが、同期がGIで優勝した時は嬉しかったです。僕らの時代は同期が125人いたんです。
僕が引退する時に、今はない観音寺競輪場にみんなが来てくれたことも思い出です。

――引退やセカンドキャリアを意識し出したのは?

2011年の東日本大震災後、高松で開催された初日のレースで大腿骨を骨折しました。しかし、まだ1期目だったため、2012年6月までは引退への猶予がありました。
その後、2012年に退職金が大幅にカットされると発表があり、「ちょうどいい辞め時かもしれない」と考え、2011年12月で代謝することを決めました。あの時は多くの選手が引退しました。
セカンドキャリアについては、レースに集中していたので考えていませんでしたが、あと半年で辞めると決めた頃から少しずつ考え始め、そこで「柔道整復師」になろうと決めました。

――柔道整復師に決めたきっかけはなんですか?

20代は落車が多く体も結構ガタガタで、40代になったら毎年骨折していました。44、45歳の時は年間に3回骨折(2月、4月、7月)したこともありました。富山で骨折した時は野本博俊さん(56期)に車を運転していただいて帰ったこともありました。故障が多かったので体のことがわかるようになり、この世界ならできるかもしれないと思いました。

――資格取得の勉強はいつから始めましたか?

結構、選手時代にいろいろな免許を取る方達はいますが、僕はレースに集中したいので選手をしながらは出来ないと思い、辞めてから取ろうと決めていました。学校は4月入学でしたので始まるまで3ヶ月位あり、少しゆっくりさせてもらいました(笑)

――資格取得までのご苦労は?

先ほどお話ししましたが、体のことが少し分かるので、学校に行けばなんとかなるだろうと思っていました。しかし、専門的な内容は本当に難しく、当時46歳だったこともあり、その日に学校で学んだことを次の日には忘れてしまうような状況でした。
金銭面については、競輪選手を長くやらせていただいたおかげで、家の支払いも終わり、子どもも社会人になっていたため養育費もかからず、多少の余裕はありました。
学校は香川県宇多津町にあり、夜間コースに通っていました。学校の近くにアパートを借り、昼間は中距離トラックの運転手として働き、家賃と食費程度は賄っていました。
学費や生活費が足りなくなった場合は自宅に連絡し、送金してもらっていました。中距離トラックの運転は1日100キロほどで、体力的にはそれほど大変ではありませんでしたが、雪による渋滞で学校の時間に間に合うか焦ることもありました。
勉強とアルバイトの両立で大変なこともありましたが、3年間の履修を終え、無事に合格することができました。

――卒業後すぐ開業したのですか?

香川に学校がある関係で、香川は接骨院が多いんです。それで就職しようと思い就職活動をしましたが、当時49歳と年齢が高かったため、どこも雇ってくれませんでした。
それで地元に帰ろうと思い、最後に東かがわ市で接骨院をしている堀田耕市君(61期)の顔を見に、ちょっと立ち寄りました。すると話の流れで雇ってもらうことになり、「明日からでもいいんで来てください」と言っていただき、就職することができました。
そこで4年間勤めさせていただきました。働きながら見て学ぶことができましたし、いろいろと教えていただき、とても重要な4年間を過ごしました。
また、徳島と近かったこともあり、現役の競輪選手が来てくれていて楽しかったです。

――開業までご苦労はありましたか?

地元に戻り開業しようと店舗探しを始め、この店を見つけました。でも横に鍼灸接骨院があり、喧嘩を売るような形になってしまうので、とても良い場所だったのですが諦めて他の場所を探しました。その後はなかなか思い通りの場所や広さの店が見つからず、半年ほどが経ちました。
そんな時、最初に見つけた場所の横にある鍼灸接骨院が高齢のため自宅で営業することになり、希望通りの場所と広さの物件に決めることができました。
あとは開業までの準備となり、内装工事や器具、家具の購入などでお金がかかりましたので、日本政策金融公庫から借入を行いました。選手時代に貯めておかなくては駄目ですね。
開店から5年目(2024年)になりました。

――お仕事のやりがいは?

やりがいは医療関係なので、患者さんから「痛みがなくなった」「すごく楽になった」と言われる、その一言に尽きます。また信頼を得たことでお得意様になってくださり、ご友人を紹介していただいたりしています。人との繋がりがたくさんできて、財産になっています。

――おすすめの治療法があるそうですが

前回、野本博俊さんにやっていただきました「コンビネーション治療(超音波+電気刺激)」と「ハイブリッド酸素カプセル OXYRIUM-S(オキシリウム・S)」です。
現役選手の新田祐大選手(90期)も、一時期レースの前日にコンビネーション治療を受けていたようです。
体の真ん中の神経が通っている部分にパッドを貼り、アースの役割をさせます。治療する部分にジェルを塗り、プローブで超音波と電気治療を行っていきます。競輪選手は体全体を行うので、1時間はかかります。神経や筋肉痛の軽減に有効です。
酸素カプセル「オキシリウム」は、体の隅々まで酸素を送り、血流を改善して、疲労回復や新陳代謝の促進、リラクゼーションの効果が期待できます。
あとは自分の「手技」と言いたいところです。

※治療効果については、個人の感想であり効果には個人差があります。

――競輪選手時代の経験が役に立っていることは?

結構、競輪選手は健康オタクなのでいろいろなアイテムを持っていて、たくさんの情報も持っています。そして競輪選手時代の練習方法などはアスリートの患者さんに教えることができるので役立っています。高校生のスポーツ選手の方もいます。
あとはコミュニケーション能力を養えたことです。今では患者さんが野菜を持ってきてくれたり、特に年配の方は会話を楽しみに来られる方が多いので。

――あとに続く現役選手、後輩の方々にセカンドキャリアのアドバイスをお願いします。

現役時代から資産運用を上手くするに越したことはないと思います。お金は貯めておいた方が良いです。僕はあまり強い選手ではなかったので無駄遣いをせず、個人事業主のための積立て「小規模企業共済」をやりました。それと、まだ退職金と年金があったので、それが大きかったです。ですので好きなことをさせていただきました。
仕事については、まずは自分に興味のあるものを見つけることが大事ではないかと思います。それが定まったら、何か準備を始めると良いです。資格についても、興味があって取れるものであれば、後々役に立つこともあるので、取って損はないと思います。僕は両立ができませんでしたが。
開業するにしても就職するにしても、ぜひ余裕を持っていてください。

インタビューを終えて

競輪選手から柔道整復師への転身の道のりは決して容易ではなく、西森さんの努力と粘り強さが現在の成功につながっていると感じました。現役選手も利用されているとのことで、その技術はお墨付きです。
また、技術面だけでなくコミュニケーションを大切にされていることが伺え、心と体の両面からケアができる整骨院であると感じました。西森さんの人としての魅力と仕事への熱意が、多くの方からの信頼と支持につながっていることが伝わってきました。
西森さんのセカンドキャリアは、あとに続く現役選手に希望と勇気を与えてくれるものだと思います。今後も末長くお店が繁盛することを、Tキャリとしても応援しています。

西森功さん プロフィール

1985年9月7日デビュー(55期)
★選手生活27年 通算成績128勝
2012年1月6日に惜しまれつつ引退
現在は、高知市で「にこにこ接骨院」を開業されています。

掲載日:2024年3月5日
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