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「引退後、正社員という選択」
元競輪選手が語るセカンドキャリアのリアル

関根 幸夫さん

役員送迎会社 競輪選手/59期

今回お話を伺ったのは、株式会社セーフティに就職されている元競輪選手の関根幸夫(せきねゆきお)さん(59期)。 関根さんは役員車運転士(車両運行管理業務)として、大手金融機関をはじめ複数の大手企業を担当されています。関根さんのご活躍により、会社から競輪選手への信頼も厚く、今後もぜひ人材を紹介してほしいという要望があるそうです。

――まずは、選手時代の思い出をお聞かせください。

僕が選手を目指したのは、中学生の時に中野浩一さんの世界選手権プロスプリント10連覇を見て、「かっこいいなぁ、僕も中野さんみたいな競輪選手になりたいなぁ」と思い、高校から自転車に乗り始めました。テレビで放送されている大きな大会(特別競輪レース)に出て、いつかああいう風に走りたいと目標にしました。
そして選手になり、その夢が叶いました。1998年の高松宮記念杯に出場し、決勝に進むことができました。夢を実現したことが一番の思い出です。

それに、やっぱり勝ったレースは思い出です。初めて決勝に出場した川崎記念では、準決勝で坂本勉さん(57期)と戦い、3着に入ったことはいい思い出ですね。坂本さんはロサンゼルスオリンピックで「ロスの超特急」と呼ばれていましたから。
あとは、引退前の福井のレースで、郡司君(郡司浩平選手・99期)と決勝が一緒で先行してくれて、それで僕が優勝できたこともいい思い出です。

僕は強い相手とレースをする方が燃えましたね。自分が本命になって人気があるより、人気がなくて相手をやっつける方が、どちらかというと好きでした。
そして、勝った時のお客さんの声援がいいですね。1着を取るとすごい声援をくれて、本当に気持ち良かったです。当時はいい時代でした。お客さんも結構入っていて。
その反動で負ければすごいヤジでしたけど、O型なので負けたレースはあまり覚えていません。

――引退を決意したきっかけは?

練習に行く時にバイクを使った日があって、その帰り道に横から車が出てきたので、とっさにブレーキをかけたら、ちょうど白線の上だったためツルっと滑ってしまい、腰の横の骨を折りました。
それで入院したら、今度は検査でお腹の腹部動脈瘤など、いろいろ見つかってしまって、そんなこんなで1年ぐらい走れなくなりました。その後、復帰したんですけど、なかなか調子が上がらず、9着ばかりでした。
僕は前で走る先行タイプで、どちらかというと車券に絡むことが多かったので、これ以上はお客さんに迷惑をかけられないし、自分はもう連に絡める選手じゃない、選手をしていても無理だなと思って、引退しようと決意しました。

――引退後の生活設計を意識し始めたのはいつ頃ですか?

もう子どもにお金もかかることもなかったし、当時は退職金もあったので、働かなきゃ食っていけないという切羽詰まった状況ではなく、心にも余裕がありました。
だから生活設計を意識してというわけではなく、引退することを伝えに選手会へ行った時にセーフティを紹介され、僕は車を運転することが好きなので、「ちょっとこの仕事やってみようかな」と思い、セーフティに話を聞きに行きました。
タクシー運転手やハイヤー関係だと二種免許が必要なんですけど、セーフティは普通免許(一種免許)だけあればできるとのこと。わざわざ試験を受けて資格を取る手間がないので、「ちょっとやってみようか」と思いました。引退してから1か月後には、もう入社していました。

――自営業は考えませんでしたか?

自営業は、やっぱり最初の資金がいるので、それは危険だなと思って。小さな飲食店でも簡単に2500万とか掛かってしまうんですよね。成功すればいいですけど、せっかくいただいた退職金を注ぎ込んでポシャった時は最悪。
あと、競輪関係の仕事で警備、投票所とかあるじゃないですか。あんまりそういうのは興味ないっていうか、違う世界をちょっと見たいなあって。
それに正社員になって企業で働くことにちょっとこだわっていましたね。

――この仕事の苦労はなんですか?

初めての世界なので、専門の育成トレーナーに常に一つ一つ教えてもらい、覚えて慣れていくことの繰り返しでしたが、それは別に苦労ではなかったですね。
でも、道を覚えることが結構大変でした。東京は右折禁止などの規制が厳しく、高速に乗る研修では、レーンに寄れずに乗れず、次の入り口まで行ってしまったこともあり、東京の道に慣れるのが大変でしたね。
運転自体は、競輪選手時代から毎日練習に行く時にしていましたし、遠征も車で行ったりしていました。最後の方は妻の実家が高知だったので、実家に寄りがてら九州まで車で行っていましたよ。車の運転が好きなので、仕事自体は苦ではないです。

――この仕事のやりがいはどんな時に感じますか?

この仕事は運転と接客なんです。特に接客ですけど、運転士には固有のマナーもあって、お客様とは基本的に会話はしないんです。僕から話しかけることは絶対にしません。お客様から話しかけられたら答えますけど、僕から「今日はいい天気ですね」などと話しかけることは、この世界ではタブーなんです。
だから、「○○先へ出発いたします」「間もなく到着いたします」ぐらいの会話ですけど、降りる時に「運転うまいね」と一言でも声を掛けられると嬉しいですよね。それと会社に戻って、お客様から業務評価の伝言があると、やっぱり嬉しいなぁと思います。
それからスケジュール管理ですけど、お客様の1週間のスケジュールをもらって、車の中で10分、20分も待たせないように、事前に行く場所の渋滞情報やどういう建物かを調べて、常に降りる側に付けられるルートを考えます。当日、アポイントメントの時間にちょうどよく到着できると、「うまく管理できた!」と気持ちがいいですよね。
直近3〜4年の間は中止していた一般社団法人日本自動車運行管理協会の全国運転サービス士コンテストが、2023年10月14日(日)に開催され、運転技術とマナー全般が審査されるんです。その大会に初めて出場したんですけど、各社から選抜された50名の中で3位に入賞しました!セーフティの社長も応援に来てくれて、その後、祝勝会を開いてくれました。嬉しかったなぁ!

――就職を選んで良かったことはありますか?

会社に入って2年が経った頃、コロナ前の2020年だったと思うんですけど、朝出勤して、ちょっと同僚と話していたら咳き込んでしまいました。
そしたら、そのまま意識を失って倒れてしまい、上司が救急車を呼んでくれて、その救急車が到着する前に少し意識が戻って「大丈夫です」と言ったんですけど、「いやいや、もう病院へ行った方がいい」と言われて病院に運ばれました。検査をしたら白血病と言われて、「人生終わった」と思いました。せっかく就職して頑張ろうと思っていた矢先でした。
入院して抗がん剤などの治療を受け、1年ぐらい会社を休みました。それでも、やっぱり正社員でいたから社会保険で休職扱いにしてもらえて、やっぱり正社員は大きかったです。契約社員だったら、普通に契約終了ですよね。それに、病気が回復してから他の会社で雇用してもらえるかどうかも分からないですよね。
休職中も保険で給与の6割ぐらいのお金が支給されました。本当に、やっぱり正社員を選んで良かったなと思います。
現在は倒れてから2年ぐらい経ちますが、全然大丈夫です。

――競輪選手時代の経験が役に立っていることは?

僕は、先輩から「成功すればするほど『実るほど頭を垂れる稲穂かな』でいろ!」と言われていました。とにかく強くなればなるほど、謙虚な姿勢を心掛けて実践していましたから、今の接客にも役立っています。
あとは、遠征で全国に行っていたので、その土地の美味しい食べ物や店を知っていて、転勤で全国から来る同僚たちと、そういう全国の話ができることも役立っているかなと思います。
個人的な考えですけど、選手時代に人とのつながりを学んだので、それは社会に出ても役に立つと思います。仲間をどれだけ増やせるかっていう、人生そこかなと思うんですよね。仲間を作っておいた方が人生楽しいと思うから。お金がいくらあっても、仲間がいなかったら虚しいですもんね。

――あとに続く現役選手、後輩の方々にセカンドキャリアのアドバイスをお願いします。

選手時代は悔いなく頑張って走って、力尽きたら第二の人生を考えて、先輩が働いているところを見に行ったり、話を聞きに行ったりして、そこから考えればいいんじゃないかなと思います。とりあえず選手時代は年末のグランプリレースに出たいと思うんですよ。選手になったからには、そこを目指して頑張ってほしいです。
それから、競輪選手は競輪以外の経験をしていないから、あまり社会的に自信がないと思っている人もいますけど、この間OBと話した時に、「競輪選手は、いろいろな規律をちゃんと守って、上下関係の中でコミュニケーション能力も身につけているから、こんなにできる人たちはいない」という話になりました。選手時代は、いい加減かなと思う選手でも、厳しさが身についているから、社会に出てもしっかり通用すると思います。
だって、うちの会社には元競輪選手が31名在籍していて、みんな真面目に働いていて評判もいいんですよ。だから、会社やお客様からも「OBがいたら紹介してほしい」と言われていますし。
最後に、やっぱり引退してからも社会には関わっていかなきゃいけないから、コミュニケーションとか人とのつながりとかを大事にしてほしいです。

インタビューを終えて

選手時代の思い出についてお聞きする中で、中野浩一さんの影響で競輪選手を目指し、夢を実現した経緯がとても印象的でした。競輪選手としての印象深い瞬間や対戦相手との思い出、特に勝利に対する喜びについてお聞きしましたが、「勝った時のお客さんの声援がいいです」というコメントからも、お客様の声援が大きな力になっていたことが伝わってきました。
また、関根さんが選ばれた株式会社セーフティへの就職についても興味深く取材させていただきました。最も印象的だったのは、病気を経験された中でも正社員雇用であったことによる安心感とやりがいです。正社員であることがもたらす経済的なサポートや保障が不安を和らげ、再起を支えていたことが伺えました。
取材を通して、関根さんの人柄や堅実な姿勢に触れることができ、その姿勢が現在の生活にどれほどつながっているのかを実感しました。関根さんの言葉やエピソードは、現役選手の方々にとっても励ましや希望を与えるものだと感じました。

関根幸夫さん プロフィール

1987年5月2日デビュー(59期)
★選手生活31年 デビュー後、1年で特進してS級へ、S級選手として29年間
★通算成績387勝
2018年5月22日に惜しまれつつ引退
現在は「株式会社セーフティ」でご活躍されています。

掲載日:2024年1月30日
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