STORY

トップ > キャリアストーリー > 高橋 洋一さん(お仕事編)

「1千万円稼げる」に惹かれて飛び込んだ競輪人生――
そして今、警備とコーチのデュアルキャリアへ

高橋 洋一さん(お仕事編)

百貨店警備員 競輪選手/47期

競輪選手として約33年間を駆け抜け、今は、銀座の百貨店「松屋銀座」の警備員として日夜、そこで働く人々を見守る高橋さん。
休日は、芝浦工業大学柏中学高等学校(通称芝柏)のラグビー部コーチとして生徒の指導にあたっています。
ラグビーとの出会い、引退後の再出発、今もなお、自分らしく生きる道を模索し続けている高橋さんの選択とは?
今回は、銀座の老舗百貨店の防災センターを訪ね、競輪選手からの転身と二足のわらじを履く日々について伺いました。
後編 高橋洋一さんインタビュー【コーチ編】はこちら

写真左:高橋洋一さん(元競輪選手・東京47期)/右:小久保孟さん(元競輪選手・埼玉96期)
――まずは、選手になったきっかけを教えてください

高校2年の夏にテレビで見た競輪学校(現日本競輪選手養成所)の特集がきっかけです。
競輪選手は1千万円稼いでいるという話の中で、「自転車に乗れなくても、100mを12秒台で走れるか、幅跳び2m50cm以上飛べるかなどいくつかの基準を満たせば選手になれる!」みたいな誘い文句があって。
当時、部活こそやってないけど運動会では誰にも負けずスターだったので「俺なれるじゃん!」と思って、親に話したら「やってみれば?」って。 そんなノリで高校3年の秋に受けたら、本当に一発で受かったんですよ。実は、小学生の頃からスポーツ見るのは好きなんですけど、自分で運動するのはあまり好きじゃなかった。
それなのに一発で受かったこともあり、甘く考えていました。そのせいで当時では珍しく1期目から代謝(強制引退制度)の対象になりそうで焦りましたね(汗)
スポーツって甘くないんだなって、プロになってあらためて思い知らされましたよ。

――選手時代の思い出、記憶に残っていること、最も達成感を感じた瞬間など

僕はS級に上がれませんでしたが、弟子の坂巻正巳 (55期)が日本選手権やふるさとダービーで優勝したこと、千葉のスポーツクラブでスカウトした小林正治(77期)が競輪学校で在校1位になり卒業記念レース優勝したこと、藤井克信(74期)が10年以上かけてS1昇格したこと・・
こうして振り返ると弟子のことばかりですね(笑)

――——選手時代、最も苦しかった時期と、それをどのように乗り越えましたか?

骨折が20回以上とケガが多くて。中でも遠征先で約3か月間の入院を余儀なくされた時は、主治医にも歩けるようになれば上出来とまで言われてきつかったですね。
まだ芝柏のコーチになって2年目の時で、コーチの楽しさにも目覚めたばかりだったので、そこに戻るためにも頑張りました。もちろん競輪選手に戻れたこともうれしかったです。

――ラグビー経験がないのになぜ高校ラグビー部のコーチに?

高校でラグビーを始めた息子が、一年たっても体つきが変わってこないので、監督に「うちの子ちゃんと筋トレとかやらせて頂いてるんでしょうか?」って失礼な質問をしたところ、「そういうの詳しいんですか?」って逆に聞かれて。「私、競輪選手なんです」って答えたら、「ぜひ一度見て もらってもいいですか?」と言われたのが始まり。
「こんなんじゃだめです!」って全部直したら、先生にも気に入っていただいて(笑)
息子が卒業したあとも「続けてくれますか?」とお願いされて、今に至ります。
息子の在学中はボランティアでしたが、スポーツ指導員(公認スポーツ指導者資格)の資格を取ったタイミングで正式なコーチとして迎え入れていただき、収入にもつながりました。

――33年以上という長い選手生活を支えた、ご自身の「原動力」や「信念」を教えてください

一番は家族の応援のおかげです。家族と弟子への責任とプライドで続けてこれたんだと思います。
自分は「運動会スター」だったけど、コーチングに目覚めてからは、超一流になれる素質があるやつを発掘して本当に超一流に育てられたら、自分が超一流になるより面白いんじゃないかと考えるようになって。
実際、ものの1週間で自分より強くなった坂巻がダービー取ってくれましたしね。
でも真面目な話、競輪に向いていなかったし、苦手だった。それでも33年続けてこれたってことは、やっぱり競輪が好きだったのかな(笑)

――引退を決意したきっかけは?「やりきった」という想いは強いですか?

選手生活の終盤に希望代謝制度もあり、あと半年以内に70点取れなければ引退ってタイミングで、藤井(弟子)の計らいもあって、伊藤公人さん(40期・埼玉)のグループに誘ってもらったんです。
これまでとは全く違う競輪の世界がそこにはあって、若手に交じって敬語で教えてもらう日々は、めちゃくちゃキツかった。半分あきらめていたんですけど3、4か月した頃からめきめき成績が上がってきて。5か月目で決勝進出、それで70点取った時は、伊藤さんも泣いて喜んでくれて。
そこからの4年間が第2の競輪人生。伊藤さんグループでの経験も含め、何物にも代えがたい宝物です。

――現役時代にセカンドキャリアについて考える機会はありましたか?また、長い選手生活の中で、「この経験は将来に活きるだろう」と意識して取り組んだことはありますか?

競輪に未練はなかったので、セカンドキャリアは「人に関わる仕事」が良いなと常に思っていました。自分の「真剣な気持ちが縁を生む」と今は強く思っています。

――選手生活を振り返り、「今の自分に一番役立っている能力」や「競技以外で得て良かった経験」は?

「コミュニケーション能力」が、大変役に立っていて、今の自分にとっての宝です。弟子10人を競輪選手に育てたんですけど、まさにコーチングの賜物ですね。

――今振り返って「現役時代にこれはやっておけばよかった」という準備や行動はありますか?

お金をもう少し貯めておけば楽だったかな(笑)

――今の仕事と出会ったきっかけ、決め手は?

競輪選手になってなかったら自分はどこまで行けるのか、誰も自分のことを知らない状態からスタートしたら、世間からどのくらい評価されるんだろうっていうのを試したかった。
誰かの紹介とかではなく、自分の力だけで就職したかったので、ビルメンテ専門の求人情報サイトに登録し、松屋銀座を紹介していただきました。入社して11年になります。

――引退して、コーチを継続するための就活と聞きましたが、職種選びや条件で特に重視したことは?

ラグビーコーチを続けたかったので、シフト勤務明けに休みがとれる仕事を探しました。
警察官、消防士と色々ありますが、24時間勤務の施設警備に絞り、施設警備業務2級、防災センター要員講習、防火防災管理者講習、上級救命講習などの資格を取得しました。

――ラグビー部コーチと仕事を両立する上で、「生活のバランス」や「時間管理」などは?

24時間勤務で、月に11回ほどのシフトが基本。夜通し働いて、次の日はラグビーのコーチに行って夕方まで。
そんな生活をもう何年も続けています。翌朝から24時間勤務なんてこともまれにありますけど、気持ちで乗り越えています! 自分で選んだ道なので(笑)
あとは、月に一度の旅行は妻との約束。じゃないと離婚になっちゃうので(笑)

——ラグビー部コーチとして生徒さんとの関わりの中で特に印象に残っているエピソードはありますか?

芝柏ラグビー部は運動未経験者もいますので、他高と比べ時間はかかりますが、その分やりがいを感じています。ちなみに一昨年は、春ベスト4、秋ベスト8、昨年の秋がベストでした!

——-警備員のお仕事とコーチ業を長く続けてこられた、最大のモチベーションや原動力は?

どんな仕事でも必要とされているうちは、プライドを持ってチャレンジしていきたいです。
コーチとしては、部員を鼓舞するために自分という存在を自分で否定する行動はとれないので、常に前だけを見て、シンプル、スマート、スマイルの「3S」をモットーに取り組んでいます。

——もし若い選手が「セカンドキャリア」に迷ったり悩んでいたら、まずどんなアドバイスをしますか?

意外と最初に思ったことが正解の時が多いと思うんです。だから迷ったらまず行動してほしいですね。 勇気を持ったチャレンジを期待しています!

——アスリートが培った技術、能力、特性の中で、社会でもっと評価されるべきだと思うものは何ですか?

アスリートは瞬時の判断力が命。試合中に決断を何十何百と重ねることで、知らず知らずのうちに最短で最良の判断を下す能力が身についている。これはもう最強です、セカンドキャリアに活かさない手はない! あとは、粘り強く最後までやり抜く力にも長けていると思うので、そこをアピールしてほしいですね。

——(今だから言える) 若い世代へ、アスリート人生を前向きに歩むためのメッセージをお願いします

自分の人生と仕事って、やっぱり「縁」があると思うんです。職種そのものよりも、誰と関わるか。人とのつながりを大事にして選んだ方が、きっと長く続けられるし、自分にとっても将来的にプラスになるんじゃないかなと強く感じています。
あと、最初にパッと浮かんだことって、意外と正しいことが多いと思うんです。でも、そこからあれこれ考えすぎて迷ってしまって、結局最初の気持ちに戻れなくなっちゃう人も多い。
だからこそ、一番最初に『これだ』と思ったことに、まずはチャレンジしてほしい。 たったひとつでいい。そうやって踏み出した人たちが、結果的に「楽しい」「正解だった」っていうのを何度も見てきたから、心からそう思います。
皆さんは選ばれた人たちなんだから、少々苦しいのは当たり前のこと。いいとこどりは出来ないと肝に銘じて、逃げずに正面突破で成長してほしいですね!

インタビューを終えて

「自分の真剣な気持ちが、縁を生む」――
縁故に頼らず、自らの力で道を切り拓いた高橋さんの言葉は、取材を通して深く心に響きました。警備員という仕事は、ラグビーコーチを続けるための選択であり、同時に「誰も自分を知らない場所で、社会からどう評価されるか」を試す挑戦でもありました。そのプライドこそが、引退後も輝き続ける原動力なのかもしれません。
「迷ったらまず行動してほしい」という力強いエールが、今まさにキャリアに悩むアスリート皆さんの背中を押してくれるのではないでしょうか。
また、この日は一緒に働く小久保さん (元競輪選手・埼玉96期) にも同席していただきました。所々で合いの手を入れていただき、取材をより円滑に進めることが出来ました。
この場を借りてお礼申し上げます、ご協力ありがとうございました。
次回は、高橋さんのもう一つの顔である「ラグビー部トレーニングコーチ」の活動についてお届けします!
後編 高橋洋一さんインタビュー【コーチ編】はこちら

高橋洋一さん プロフィール

1981年04月 19歳で競輪選手としてデビュー 47期 東京所属(適性組)
★通算成績2687戦124勝
2006年06月 芝浦工業大学柏中学高等学校のラグビー部トレーニングコーチに就任 (今年で20年目)
2014年07月 52歳で競輪選手引退(選手生活33年2か月)
現在は、株式会社シービーケーの正社員として、松屋銀座の警備員 (防災センター)に従事

掲載日:2025年9月8日
Page Top