インタビュー#FILE04(元競輪選手の加藤 一広さん) | Tキャリあなたのセカンドキャリアを応援します!

引退後も長年競輪を支え続けてきた縁の下の力持ち!

「競走場の警備業」と言えば、競輪選手には説明不要なほどに長年人気となっている職業です。
今日は、そんな人気の職業に従事している大ベテランの元選手を訪ねて、関東の某競輪場へお邪魔しました。

お話を伺ったのは、元競輪選手の加藤 一広(カトウ カズヒロ)さん。
通算成績は338勝、優勝17回、選手生活22年と10ヶ月を経て、2022年現在 警備業24年目を迎える66歳です。

―――まずは、選手時代の思い出について


高校2年で競輪選手を目指して愛好会に所属し、2度目の挑戦で競輪学校へ。
当時、ハロンが不得意だったのですが、 2回目の時は、さすがにタイムも出るようになっていたのでいけると確信していました(笑

一番の思い出といえば、富山競輪場での声援ですね。 あれは、思うような成績が残せなくなってきたB級の時代のことでした。
ゴールして確か2着、その時に富山のファンが「加藤、また富山に来いよ」って言ってくれたんですけど、心底嬉しかったですね。「よかったな」とか「頑張ったな」「ありがとう」といった声援はよくあるんですけど、 「また富山競輪に来いよ」って言ってくれたのが何よりも嬉しくて。22年間の選手生活の中で一番嬉しかったと言ってもいいくらいですね。

ちなみに公表では、338勝、優勝17回となっているんですけど、どうしても優勝が16回までしか思い出せない。普通、優勝って忘れないじゃないですか、でもあとひとつが最後まで分からず(笑

―――引退当時のセカンドキャリア事情について


その頃は、プロの道をあきらめて競技会(現JKA)に就職した人もいましたね。
自分は、県に選手会推薦枠での受入れ体制があったので、引退後はこれを利用して競走場の警備員になろうと思っていました。
当時は、ホームバンクが県営で県の職員という扱いになるということで、いい話だなと思っていました。 65歳まできちんと働けますし、実際に就職された先輩も見てましたので、さほど心配はしていませんでした。
引退後に何かもう一勝負というタイプではありませんでしたが、今思えばなんでもチャレンジできる年齢(43歳)ですよね・・

引退して無事に県の自衛警備隊に臨時職員として配属され、その後包括委託のタイミングでT社へ転籍することに。 実はそのタイミングで一年間、留学に行ってるんですよ。 当時、県が親善大使を募集していたので、面白そうだと思って、受けてみようかと。
友好姉妹都市関係にある中国の山西省に県が親善大使を派遣するということで募集が出ていたんです。 試験は49歳、渡航したのが50歳の時でした。
子どもたちが中高生だったこともあり、現実的には難しいかなぁという話を家族でしていたのですが、 でも内心は、やっぱり行きたいなぁって思ってました・・そうしたら合格したんです。
そのことを会社に相談したこところOKというお返事を頂けたのですが、 県(国際課)の事業として参加することになるので、会社としても今後の関係構築のためという狙いがあったのかもしれないですね。

帰国後に仕事復帰できるということで無事に家族の理解も得ることができ、親善大使として勤めを果たしてきました。2007年から2008年にかけては、自転車競技連盟に在籍していた先輩を通じ、北京オリンピック関連のお仕事に携わることも出来ました。
永井清史選手の銅メダルを触らせてもらったのはいい思い出です。(笑

帰国後すぐに警備員登録、震災があった年に警備本部の補佐につきました、それからもう十数年ですか・・・

―――留学も北京オリンピックもご自身からアクションを起こされた結果ですね


そうですね、めったに経験できないようなことをやらせてもらったなとは思います。(感慨深くうなずく)
第2の人生において、私生活でやりたいと思ったことには取り組むように心掛けていた感じでしょうか。 「ほんと加藤さんって自由人だよね」って現役時代から言われてました。(笑

―――引退後の生活設計について


当時は、60歳の選手とか普通にいました。 私は体格に恵まれているわけでもなかったので、そこまで強くなれるとは思っていませんでしたが、 自転車が好きで練習も好きだったので、60歳まで競輪選手を続けられると思っていました。
だけれども実際はそうはいかなかった・・

―――引退を意識しだしたきっかけは?


昇降級(班)を繰り返しているうちに点数が取れなくなってしまったんです。 いつも通り、今まで通りにやってもうまくいかないことが2期、3期と続いて・・なぜダメなんだろうっていう感じで。 それで緊張の糸というか、気持ちが切れてしまったのがきっかけでしょうか。

―――引退後はすぐこのお仕事に?


引退してすぐに選手会の推薦を頂くために動きました。 ちなみに自衛警備隊への同期入社は5人でした。 当時、警備の募集もそろそろ終了といううわさもありましたのでグッドタイミングでしたね。

―――就職して思ったこと


現役時代、特に20代の頃はレースのことしか頭なかった。 30代になっても同じ感じでレースのシミュレーションを頭の中でやってるだけといいますか。 正直、その向こう(先)に何があるのかっていうところまでは、全然考えていませんでした。 マインドとして「お客さん」と「お客様」の違いにすら気づけていなかった・・

この仕事に就いてようやく「ファンがあってこその競輪(選手)」、その本当の意味を理解するに至りました。 競輪場って何なのって考えた時、選手が主役で、我々警備員のほかにもたくさんの人が働いている。 選手管理、清掃、車券販売と本当にたくさんの人がかかわっている。
「じゃあ、私たちは何なのか?」って自問自答した時に、目指すものがひとつだってことに気がついたんですよ。

それは、”来場してくださるお客様に競輪を楽しむ場(空間)をみんなで提供すること”
そのために自分たちの役割(仕事)でベストを尽くす、警備であれば来場者に安心と安全を提供するということですよね。 来場してくれるお客様に直接接する機会の多い最前線(矢面)に立っているのが私たち。 選手の時は、自分のことしか考えてなかったように思います。(苦笑

思うに引退した選手(かつてのスター)がアテンドしてくれる、もうこれだけでね、嬉しくないはずがないですよね。 ファンにとっては素晴らしいサービスを提供していることになるのではないかと思っています(笑

―――お客様に喜んで頂いたエピソードなどありますか?


競輪場としては、とある現役選手とその父親(元選手)が急遽共演することになったイベントなどでしょうか。
警備業務としては、やはり元選手ということで接客がスムーズにいくことも多いですし、説得力もあるように感じています。

―――今、具体的にどのようなお仕事を担当されていますか?


警備本部といったら警備全体、警備関係の管理と雑務と事務が多いですね。 競輪場の警備が一般の警備と違う点は、入場禁止者という対象があること。 秩序を乱すような人がいた場合や入場禁止者が来場した場合に、まず対応するのが隊長と副隊長の2トップ。 強制力はないんですけど、自転車競技法のもとに県の自転車競走実施規則があるので、それに則って冷静に対応をしています。
でも先ほど言ったように強制力がないので、 入場禁止宣告をしても、本当に入場できないのかどうか、後日こっそり来る方がいるんです。 見つけてお声がけすると「あぁバレちゃった、ちゃんと見てるんだね」って。(苦笑

―――普段から心掛けていることは?


お客様が楽しんで喜んでいただける場(空間)を提供するっていうことでしょうか。 競走場で働く全ての人が、職種も立場も超えて・・そう、「オール●●(競走場名)」(俗にいうワンチーム)ですよ。 ある時、それに気が付いて・・それが、やりがいにもつながっています。
警備業は、言わば「警備道」なのではないかと。 剣道や柔道と同じ・・そう考えると終わりがなくなるんですよ。 どうしたらいいんだろう、何をすべきだろう、お客様は何を求めているんだろうって、終わりなき探求ですね。 時代で変化していくこともありますから、この先も終わりはないんでしょうね、きっと。

現役時代は個人事業主のようなものだったので、選手にとって自分で考え行動するのは当たり前のことでした。 自分で解決するっていうことが、当たり前のように身についているというか、染みついている。 自分の職場だけみてもそんな元選手は多いですね。

―――今のお仕事、どんな人に向いていると思いますか?


やっぱり競輪選手!元競輪選手なら大丈夫だと思います。
性格的に言うと真面目な人でしょうか。

―――後輩選手の方々に一言


やっぱり現役時代は、てっぺんを目指すつもりでやってほしいですね。 当時の私はのんびりしてましたが、やはり競輪選手たるもの、それじゃダメですね。
だけど、なるべく長く現役を続けるっていうのもひとつの考え方ではないでしょうか。 競輪選手なんてなかなか経験できる仕事ではないので「一生モノ」の仕事として、 体に気をつけながら、挑んで頂きたいと思います。

取材を終えて―――


One for all, All for one「一人はみんなのために、みんなは一つの目的のために」
そんな熱い想いを胸に抱き、お客様に競輪を楽しむ場(空間)をみんなで提供するために 今日も競輪場の治安を守り続ける加藤さん。ご家族の理解と支え、親善大使としてのご活躍、現場でのご苦労など、書き尽くせない数々のエピソードの中から、その一部をご紹介させて頂きました。

加藤さんの競輪愛と業界貢献への想いが多くのお客様に届くことを祈って。 そして、セカンドキャリアを考えるアスリートの皆さんにとっても、何かしらのきっかけや気づきを感じて頂けたなら幸いです。