インタビュー#FILE05(元競輪選手の中川 司さん) | Tキャリあなたのセカンドキャリアを応援します!

王道を伝承するラーメン屋で奮闘する元選手のお話を伺いました!

日本の“国民食”と言えるラーメン!!その種類は、東京・札幌・博多などのご当地のくくりや、豚骨・醬油・みそという出汁のくくりがあります。そこに新たな分類として、家系・二郎系・大勝軒系の分類があり、熱狂的なファンに支持されています。
今回、お話を伺ったのは、近年特に競争が激しい家系ラーメン店を経営されている元競輪選手の中川 司(なかがわ つかさ)さん。
通算成績277勝、選手生活20年を経て、2010年に惜しまれつつ引退。
現在は、静岡県沼津市で家系ラーメン店「会心のラーメン 捲り家」を経営されています。


◆店舗情報◆


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まずは、選手時代の思い出をお願いします。


競輪選手になった時、世間的にはバブルが弾けてたけど、競輪界はバブルの絶好調のころで、賞金も良く、生活も派手で、いいイメージしか残っていないですよね。

東出さんとの競走が一番の思い出になってます。
東出さんが足首を骨折して長い間欠場していましたが、復帰後の小田原記念で、僕が先行で東出さんは3番手に回ってくれて、東出さんから「とにかく行け、2周目から行け、俺が3番手で仕事するから」と言われ、その通りに走ったら東出さんが全てをブロックしてくれて、ワン・ツー・スリーのラインでゴールを決めることが出来たり、結婚が決まった時に出場した寬仁親王杯の時も、「結婚祝いに3周逃げろ」と言われ、2周半逃げ切った、全てをブロックしてくれて、2人しかいないラインでワン・ツーを決める事が出来ました。本当にこの人すごいなって、感銘を受けました。
それにすごく可愛がってくれて、僕の髭をカットしてくれてデザインもしてくれました。今でも髭は東出さんのデザインのままです。東出さんの競走スタイルや考え方に影響を受けました。競輪選手時代は、いい思い出しかないなぁ。

セカンドキャリアにラーメン店を選んだ理由は?


僕が競輪選手を辞めて一番最初に始めたのは、サントリーの知合いに静岡市内の「両替町でお店をやらないか」と話をもらって、何にも考えずに夜の商売も儲かるだろうなぁ~やってみようかな⁉ぐらいのイメージで、両替町に居酒屋とBARを始めました。サントリーも業績が良かったから、バックアップしてくれたんですよ。運が良いいよね。
そういう巡り合わせもあって始めたんですけど、開店から2年目ぐらいに東北の震災が起こって、サントリーから「とんでもない地震がおきた。企業はみんな自粛するから手を引け、今後どうなるか判らないから」と言われました。でも、とりあえずは続けてみようと2ヶ月続けましたが、赤字でしたね~ぇ。これはダメだと、すぐに切り上げました。
店を閉めた後、介護業界の知合いから「スポーツ選手を活かして仕事しないか」とお話を頂いたので、介護業界に行く予定でした。働き始めるまでに半年間あり、その間は妻の叔父に「店が忙しいから手伝ってくれないか」と言われたので手伝いのつもりで叔父のところに行きました。
叔父は、伊東市に“吉田屋”というラーメン屋をやっていて、静岡県で家系ラーメンを一番最初に始めたお店です。
手伝いに行くと叔父から「ラーメン屋は儲かるんだから、ラーメン屋をやれ!修行だ!2年で店を持てるように厳しく教えるから」と手伝いのつもりが半強制的に修行の道へ(笑)“吉田屋”はとても流行っていたので、魅力もありましたから、それも一つの選択でいいかなぁ~なんて。

修行や開業前のご苦労は?


修行の期間は“2年”なんていうから、本当に詰込み式で、すごい厳しい。厳しいけど、やっぱり競輪より楽ですね。42歳で飛込んでちょっと遅いかと思いましたが、まだまだ体力もありましたし、怪我をしてお休みや入院することはない。“熱っちい”て言っても火傷程度で済んじゃうんで(笑)擦過傷とかに比べれば、全然、体は楽ですよね。

苦労したのは店舗探しですね。叔父が探してくれたり、いろんな人に頼んだりしていましたが、豚骨って匂いが出るので、店舗が見つかっても豚骨ラーメンと分かると“豚骨は・・・”と断られ。修行を初めて4年半、ようやくここの店舗が見つかったんで、独立することになったんです。そこから、8年経ちました(2023年)。


開業後のご苦労は?


叔父の教えで「宣伝をするな」と。「宣伝をすれば、お客様は来る、絶対来る。だけど、慣れてないのにお客が来て、うまくいくわけがないだろう。2年は赤字だと思え。金がなくなったらいくらでも俺が貸すから」と、叔父はそういう人だったので。

叔父の言う通りで、宣伝をしてお客様がいっぺんに来てくれても、慣れていないから変な物を出してしまい“まずい店”ってイメージがついちゃったら、もうそれで終わりじゃないですか。だから俺も男だしって、最初の一年は、全くお客様が来ない日や一日の売上が5千、1万円の日がありましたけど、我慢して、我慢して、妻にも理解してもらって続けてました。

でも、お客様が少なかったから、来て頂いた方一人ひとりと会話が出来て、常連に繋がっていきました。その常連さんが心配してくれてSNSやった方がいいよとか、どこどこにラーメン店が出来たからとか、色々情報をくれて学べましたし、お客様との繋がりが深くなって嬉しい事もありました。
後で聞いた話ですが吉田家の奥さんも「うちの姉妹店を出したから」って影ながら宣伝をしてくれて支えていてくれました。

今はウクライナとロシアの戦争の影響で電気とガスが値上げになり、うちは特にガスをよく使うからキツイ!それに、小麦の値上げも凄くて、麺は1年間で6回値上げになりました。お客様から「辞めないでよ!」と言われますけど「うちも明日になったら、やって無いかも知れないよ」と返している(笑)

醍醐味と続けられる秘訣は?


初めて来たお客様が、お世辞でも「美味しいね」と言って全部食べてくれると、やっぱり嬉しいですね。選手時代もそうですけど、1着取ると声援が来るじゃないですか、それと一緒でお客様に喜んでもらえると嬉しいですね。そう思うからこそ、もっと心を込めて作らなきゃなって思える事が醍醐味です。 店の常連に三島警察署の警官の方がいて、醤油派、塩派といるんですけど、塩派のお巡りさんが「大将⁉捕まえないけど、何か入ってるよね?」と言うと、醤油派のお巡りさんも「醬油にも入ってるよね?でも、捕まえちゃうと食べれなくなっちゃうから、捕まえないでおこう(笑)」なんて冗談を言える人との付き合いや交流があるから続けられますよね。

おすすめは?


家系ラーメンは醤油が正当な味なんですけど、うちは塩味が売れてますね。それは狙い通りなので嬉しいんです。僕は小さい頃から札幌一番の塩ラーメンが好きで、それに近づけようと、試行錯誤末の三つの塩にたどり着きそれをブレンドしているんです。だから、横浜からのお客様が「塩なんて邪道だよ」って言ったのに、次に来た時も塩を注文する!また今回も「塩?ですか」って。

でも、もっと近づけよう日々改良をしていたら、お客様に「もう美味いから!札幌一番は家で食べられるから、もうやめてくれ」って(笑)

競輪選手時代の経験が役立ってことは?


競輪選手は全国に行くじゃないですか。時間があれば現地の色々なお店に行ったりして、方言も色々と聞いていましたから、お客様と話すとイントネーションで大体どこの人か分かるんです。なので「○○の人ですか?○○のお店美味しいですよね」と、会話のきっかけになるので強みですね。あとは、お客様相手の商売は、選手の時の一緒でお客様に喜んでもらえる様に努力をする事ですかね。

後輩へセカンドキャリアのアドバイスをお願いします。


選手時代に好きなことをやってて、すごい輝いてたけど、もう疲れたよって思う選手もいるかもだけど、辞めても目標をちゃんと設定をした方がいいと思うんですよね。就職して月々安定した給与がもらいたいとか、自分で何かをやりたいとかね。自分は何をしたいかって、どこに設定を置くかだと思うんですよね。その設定のために、できれば、今の収入の資産運用をちゃんと考えてほしい。僕らの時代は節税対策とか資産運用なんて教えてくれなかったですもん。

うちの息子にも「お金を使っちゃダメだよ、貯めときなよ」って言ってるんですけど、でも「強くなればいいんでしょ」って、俺と同じような考え!「生活困るぞ」って言っているんですけどね。あとはもう、本人次第です。

最後に、競輪選手だから出来る、人との繋がりを大事にしてもらいたいです。その繋がりから、セカンドキャリアに続くチャンスもあると思うんです。今は、競輪選手としての努力を惜しまないで頑張ってください。

インタビューを終えて


競輪選手時代の思い出について、東出さんとの競走が特に印象深かったです。東出さんとの連携で素晴らしい勝利を収めたり、寛仁親王杯での東出さんのサポート(結婚祝い)で勝利を収めたりと充実した選手生活が伺えました。また、東出さんの優れた競走スタイルや考え方に影響を受け、東出さんに可愛がられ、髭のデザインまでしてもらったとのことで、選手時代は良い思い出ばかりだったようです。

居酒屋やBARの経営、そして現在のラーメン屋と数奇な人生を歩んでいるようですが、そこは運命を受入れて、どんなことでも最大限のパフォーマンスを出す器の大きさを感じました。一見、強面で怖い(迫力ある)印象ですが、実際は非常に人情深く愛のある方で、すぐにファンになってしまいました。

地元の警察署のお巡りさんたちとの楽しいエピソードもお伺いできて、地元に愛されていることが伝わってきました。物価高など、大変なことは続きますが、末長く繁盛していただきたいとTキャリとしても心より願っています。