現役競輪選手が挑むデュアルキャリアへの挑戦!
一般的にアスリートにとって「デュアルキャリア」とは、
競技を続けるために収入を得るという意味合いでとらえられることが多いのですが、
公営競技のアスリートにとっては、「副業」という意味合いのほかに、
引退後のキャリアを見据えた準備やスキル開発などの意味合いもあります。
そんな公営競技選手のデュアルキャリア事情を探るべく、
今回は現役の競輪選手でありながら起業して、挑戦の日々を送られている
小原 伸哉さん(函館在住)にスポットを当てお話を伺ってきました。
◆小原 伸哉さんのプロフィール◆
2010年01月 23歳で競輪選手としてデビュー
2020年12月 株式会社SELECT PACKAGEを設立
・ラーメン店(おばら家2店舗)
・唐揚げ店(あげ太郎)
・フルーツサンド店(函果堂)を経営
2022年05月 函館で唯一のキャブコンレンタカーショップ(セレクトキャンピングカー ハコダテ)オープン
◆企業情報◆
株式会社SELECT PACKAGE 2020年12月24日に設立
―――まずは、現在手掛けている事業をご紹介頂けますか?
ラーメン店「おばら家」が2店舗、厳密にはフランチャイズではなく、
横浜家系ラーメン町田商店(株式会社ギフトホールディングス)とのパートナーシップ契約です。
なので、店名も自由に変えられます。
麺、スープ以外は、地元の業者から仕入れ、自分たちで作っているメニューもあります。
修行は、あの鈴木守さん(元競輪選手)が神奈川でやっているラーメン「まくり家」(株式会社バロンドール)に、
朝から晩まで入らせてもらって。もちろん、町田商店でも研修を受けました。
あと、唐揚げのあげ太郎(おばら家2号店併設)も同じくパートナーシップ契約ですね。
鈴木守さんがやっているまくり堂や都内の唐揚げ店を見学(調査)して、できるかどうかを判断しました。
従業員は、会社全体で約40名、うち正社員が2名の体制です。
2号店オープン時は、75名くらいいたんですけど、あの時は本当に忙しかったです。
―――1号店の時はどうでしたか?
お店の名前が決まらなくて悩んでたんですけど、
妻に名前でやればいいんじゃないの?どうせやるなら本気でやんなきゃいけないんだよって言われまして。
それで覚悟を決めて「おばら家」にしました。
でもオープンの時は・・もうダメだと思いましたね。忙しすぎて。
競輪もほとんど出走せず、とにかく全部自分でやっていました。
毎日の睡眠時間が2時間くらいで・・いつになったらこの状態が終わるんだろうと(苦笑)
ただ、お店には絶対泊まらないって決めていました。
深夜1時ぐらいにお店を出て必ず帰宅するようにして、自宅でまた少し仕事をして2時間くらい寝て、出勤するみたいな感じなんですけど・・・
最後の方は、疲れ切っての運転に危険を感じ、タクシーで通ってました。
そんなある日、帰りのタクシーを待っている時にふと自分の店を眺めて、それがとても小さく感じた時があって・・
ずっと一日中この中にいるけど、それが自分の人生のすべてだと思ってるけど、
こんな小さな店の中だけが、「俺の人生のすべてなわけない」って気づいたのも大きかったですね。
起業をきっかけにすごい考え方が変わった(至った)のが良かったです。些細なことでは悩まないようになりました。(笑)
挑戦したからこそ見えてくる気づき、成長みたいなものはありますね。
―――2号店のエピソードもお聞かせください
2号店の売上げが下がった時は、店内にお絵描きコーナーを設けたりしました。
客層としてファミリーがすごく多かったので。また、お子さま向けのサービスを全部手作りで始めるのと同時にオペレーションも改善して少人数でお店を回せるようにしました。
そういう努力は他の競輪選手には見えていない部分だと思うんですが、
同じように強い選手も他人から見えない努力をしているんだろうなって事業を通じて気づくこともありました。
―――競輪選手としてのキャリアと並行して起業を考えたきっかけは?
プロになってからもずっと函館で一番練習で弱くて、師匠の斎藤さんにも全然もがきで勝ったことがなかったくらいで。
デビュー当時に、ある先輩にまずは一生懸命に10年頑張れ、そうしたら自分のいる位置が分かるだろうから、その時に考えなさいって言われたんですけど・・
成績も伸び悩んで、これは10年間頑張れないかも、次を見つけなきゃと思って、実は警察官の試験を受けたことがあります。
ある選手と同じタイミングで試験を受けて、その方は一発で受かったんですけど・・(苦笑)
そのあと警察官目指す前の2016年に一回ラーメン屋さんやろうとしてたことを思い出して、
2019年にもう一回やってみようかなと思ったのがスタートですね。
―――苦労の末に1号店がオープンしたんですね
でも怖いですよ、何かを始めるのは・・ほんと怖いと思います。
自分でゼロからオリジナルのラーメンを作りますとかだったら、やばかったと思います。
最初にも言いましたが、パートナーシップ契約があったから、それじゃないと逆に無理だったと思うんですよね。
でも始める前に、有名チェーン店とか5、6店舗くらいで働いておけばよかったと思いました。
今はちょっとさすがにできないじゃないですか、社長でバイトさせてくださいって絶対無理なんで。(苦笑)
いろんなことやれば良かったなっていう後悔はあります。
大手チェーンは、同じオペレーションで運営できると思うんですが、
私にはそこまでの資金力はないので、居抜きで与えられたスペース、与えられた厨房で、オペレーションを組んでいくんです。
なので、もっと色々なことを経験しておいた方が良かったなぁと思います。(しみじみ)
あと、お金の問題とかあまり最初気にしてなかったんです。
どんぶり勘定で大丈夫だろうみたいな感じでやっていたんですけど、
店舗が増えて行くほど、たった1%がすごく大きな1%になる。
しっかり数字管理しないと、現金が残っていかないなっていうのは感じましたね。
融資の面でも、やっぱりダブルワークで競輪の収入で柱がありつつ、事業も成功してるっていう方が融資も下りやすい。
あとは現役競輪選手というのがめずらしいので、一回で覚えてもらえるというメリットもあります。
―――デュアルキャリアは継続で?
他の仕事しながら競輪もやってるっていう風になると、単体でラーメン屋さんやってる方よりは、色々な面で信頼度が上がるのかなと感じています。
なので、今は全くやめるつもりはないです。ちなみに弱くなるつもりもないんですが、実際のところ弱くなっちゃってる・・(苦笑)
それでも全く辞めるつもりはなくて、できるだけ長く続けたいと思っています。
競輪選手の小原伸哉、経営者の小原伸哉、あとは父親として、とりあえず子どもが成人するまであと15年ぐらいしかないんで、それまではしっかり頑張っていきたいですね。
―――起業する際に最も難しかったことや苦労したことは何でしたか?
重要なのは物件選びですね。商圏のデータを取り、売上予測を立てて、他のパートナー店と競合していないかなど、ここが多分一番ハードルが高いのではないかと。
フランチャイズ契約ではないにも関わらず、町田商店さんはチラシやポップ製作などのサポート体制があるので助かっています。
2号店開業当初は、ラーメンの売上が計画を下回りましたが、唐揚げが計画を大きく上回る結果で。唐揚げに支えられた感じですね。
また、融資額も大きく、コロナ禍での事業展開ということもあり、タイミング的にも大変でした。
何度も銀行や不動産屋に通って話をした結果、なんとかオープンすることができました。
―――唐揚げブームなんかもありましたけど、お客様の反応はいかがですか?
この周辺に唐揚げ店が4店舗くらいあったんですけど、何とか生き残ることが出来ました!(汗)
コロナ禍に何店舗か出来たんですけど、必ずどこかで淘汰されるタイミングが来ると考えていました。それまでは我慢だなと思って。その結果周りは全部潰れて、いまはうちしかない状況です。
でもコロナ禍で、鶏肉と油の仕入値がかなり高騰した上に、仕入れるのにも苦労して。
閉店になったところは、その影響も大きかったのではないかと思います。
―――起業の軍資金として賞金の果たす役割は大きいですか?
おそらく、銀行も僕がダブルワークで競輪選手をやっているからこそ、お金を貸せるのではないかと思うんですよ。
やはり銀行は売上を見てくるので、
融資に関しては競輪選手としての収入があったことが大きかったのではないかと思います。
―――起業のアイデアやきっかけ、実現へのアクションについて
ラーメン店の事業モデル自体、再現性のある事業だったのが大きいですね。
自分でも出来るんじゃないかなって思えたので、始める決断に至りました。
今、バーチャルの店舗(バーチャルレストラン)で販売している冷麺は、自分たちでゼロから作りました。
キャンピングカーのレンタル事業も、自分たちで貸渡約款作って、ホームページもそうだし、チラシも、全部自分たちでゼロからやりました。
冷麺もキャンピングカーもそうですけど、当初色々なところに問合せしました。
色んな業者さんに電話して、調査目的で思いつく限りのことを聞いてまわりました。
キャンピングカーのレンタル事業を始めようと思ったきっかけは、
ちょうど車を買い替えようと考えていた時に、もともとキャンプが好きだったので、
せっかくならキャンピングカーを買って子どもたちと過ごす時間を大切にしたいなって思ったんです。
でも考えてみると、福利厚生の一環として従業員は無料でレンタルできるようにするのも有りだなと。
それで調べ始めたら、函館にキャンピングカーのレンタルをやってるところがなかったので、どうせなら函館唯一のレンタル事業にしようと、それで立上げるに至りました。
―――競輪選手としての知名度が起業に与えた影響はありますか?
地元の選手にもオープン間近にしか言ってなかったんですよ。知ってたのは師匠ともう一人だけでお店のスタッフも知らなかったくらいです。
今となっては最初から「現役競輪選手が」っていうことも含め、持ってる武器全部使った方が良かったなって思いますね。
でも当時は、競輪選手だからやれたんでしょとか思われるのが嫌だったので。それで隠してたっていうのはあります。
今はすぐに覚えてもらえるので、めちゃくちゃいいですけどね。
「まだ現役なんですよ、でもめっちゃ弱いんですけどね」みたいな感じで。(笑)
―――起業に役立った競輪選手としての経験はありますか?
思えば自分はプロになるために苦労した時代が長くて、そこで培われた体力と精神力で、起業後の重労働に耐えられているのかもしれません。
あの頑張っていた約2年半が今も自分を支えていて、大きな自信になっているなっていうのは感じますね。
―――競輪と事業の両立で時間の使い方など意識されていることは?
時間の使い方はあまりうまくないですが、大体午前中に練習して、午後からお店をやってます。
1号店だけだった時は、仕事の合間に市内で物件空いてないか見て回ったり、不動産屋さんにもこまめに行ったりして。
それで繋がった物件がここ(2号店)だったんです。
あとは飲食店(他店舗)のオペレーションや仕入れ調査、売上げ予測など、周辺店舗は全部把握できるほどに行いました。
そういう知識の上積みのために時間を使うように意識しています。
思うに「不安」という感情が、事業を成功させたのではないかと。
選手も同じですよね、きっと。
不安があるから、もうちょっとこれ練習した方がいいなとか、この練習やっておいた方がいいなとか、自転車の整備もそうですよね。
絶対に大丈夫だという自信に加え、何パーセントかの不安があるから努力する。
他の人より出来るんだぞっていう自信と、あとちょっとの不安。
多分、このちょっとの不安があるからこそ、
ここまでの4年間、徐々に会社の売上げを伸ばすことが出来たのではないかと思っています。
―――逆に起業での学びから、現役の競輪選手として役立ったことはありますか?
事業を通して強い競輪選手の気持ちがすごく分かるようになりました。
強い選手は、人知れず努力をしているからこそ、あの位置にいるんだなって。
私の場合、こっち(事業)の方が向いていたっていうのはあると思います。(笑)
経営者っていうとかっこよく聞こえますけど、実際、現場に入ったら本当に泥臭くやる。
お客様一人ひとりに対しても変にカッコつけず、みっともなくてもやる。
だからこそ従業員もついてきてくれている、そう思います。
―――競輪の選手と起業家の両立は大変困難な道のりなんですね。
両方全開は、多分私には無理だと思います。両方100%でやったら多分壊れちゃいますね。
もちろん両方全開でできればかっこいいんでしょうけど、私には多分その器量はないかな。
―――中には選手に専念することにこだわりを持っている方々も多いと思いますが・・
今は本当に競輪1本でやってる人はすごいと思います。
もうちょっと選手頑張ったほうがいいって言われることもありますが、それでも応援してくれる選手もいます。
あと、事業始めてから競輪場で話しかけられることがすごく多くなりました。
そのせいで選手1本だけのときより、競輪場へ行くのが気持ち的にも楽になった気がします。
まぁ、プロとしてこれでいいのかという葛藤はありますけど。
―――デュアルキャリアで成功を収めるためにはどのような心構えが必要ですか?
どの職業もそうだと思うのですが、圧倒的にコミュニケーション能力だと思います。
例えば、美味しいラーメン作れますとか、私はこんな素晴らしい広告チラシが作れますとかって言っても、結局最後に繋がるのは人だと思うんです。
取引先に選んでもらえるコミュニケーション能力がなければ収入にはならない。
コミュニケーション能力さえあれば、ある程度の技術はあとからついてくる。
あとは、変なプライドのない人の方が成功する気がしますね。
競輪選手は、大きなリスクと覚悟を背負っていて、一般の人が出来ない経験をしているわけですから、その気になれば何だってできると思います。
―――競輪と起業(デュアルキャリア)、両方でこれからの目標はありますか?
やっぱり函館でラーメン屋といったら、塩ラーメン出したいじゃないですか。
駅前にある他店舗の行列を見たりすると、いつかは出したいと思っています。
一号店をオープンした時に、ふとこれ自分の金儲けのためだけにやっていたら続かないのでは?と思ったんです。
ラーメン屋をやる社会的意義って何なのかなとか考え始めちゃって。
競輪の場合、戦後復興にはじまり、今は補助事業として売上金の一部で社会的課題の解決に取り組む活動を行っている。
そういう取り組みがあるからこそ、選手も社会に貢献できているという実感を持っていると思うんです。
でも、ラーメン屋には何があるんだろうって。
それで考えたのは、函館に魅力のあるお店、働きやすい高時給のお店、札幌でしか食べられなかったものが函館でも食べられる・・っていうことが出来れば、人口流出も防げるんじゃないかなと。
そういう面では社会的な意義はあるのかなと思えるようになりました。
―――最後にこれから選手を目指す若者たちへキャリア形成についてのアドバイスをひとこと
選手を目指す人にアドバイスできるような選手じゃないんですけど・・
でも後悔しないように全力でやった方がいい、その結果が例えダメだったとしてもやりきれば後悔はないんじゃないかと。
私から言えるのはそれだけです。
取材を終えて―――
現役競輪選手としてハードな練習やレースをこなしながら、同時に複数の事業を経営する小原さん。
それを実現するのは並大抵のことではありませんが、
終始、大変ながらも楽しそうに語る小原さんの笑顔がとても印象的でした。
自身の弱さと怖さを認めた上で、己自身を見つめ直し、その結果、強さを知った小原さんは、
1歩を踏み出す勇気と強い意志、そして忍耐力をもってデュアルキャリアを両立させており、
それはアスリートとしてのメンタルの強さを感じさせるものでもありました。
見えないところでの努力、あふれる向上心と好奇心、そして引退への悩みと選手続行への決断、
皆さんも考えさせられるところがあったのではないでしょうか。
小原さんのデュアルキャリアへの挑戦は、
アスリートが引退後のキャリアを見据えて、現役時代から準備を始めることの重要性を示しているように感じます。
公営競技選手は、引退後のキャリアが限られていると思われがちですが、決してそんなことはなさそうですね。
また、「不安」という感情が事業を成功させたというお話はとても興味深く、
皆さんにも何かを感じてもらえるエピソードだったのではないでしょうか。
最後に、美味しいラーメンとジューシーな唐揚げを頂いて感じた
小原さんとスタッフ皆さんの真心に包まれながら、心もお腹も満たされて函館の地を後にしました。
皆さんも函館に訪れた際は、味、ボリューム、お値段と三拍子そろった「おばら家」さんでクセになる極上の味をぜひご堪能下さい。
掲載日:2024年5月2日
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