インタビューNo.19 元競輪選手:川口浩貴さん | Tキャリあなたのセカンドキャリアを応援します!

心と体を癒す技術を持つ元競輪選手!

今回お話を伺ったのは、競輪選手の家系に生まれ、3代目の競輪選手として活躍された川口 浩貴(かわぐち ひろたか)さんです。現在は整体師として多くの人の心と体を癒されています。

1981年10月27日デビュー(48期)
・現役生活31年 通算成績207勝
2012年12月17日に惜しまれつつ引退
現在、「かわぐち 心体工房 癒し庵」経営


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まずは競輪選手時代の思い出をお聞かせください。


競輪選手としての節目だったS級に昇級した直後、急性肝炎にかかってしまいました。そこから 1 年間入院しましたが、肝機能は良くならず筋肉量だけは激減してしまいました。それでも、病気と向き合いながら1ヶ月後には復帰することができ、半年後には3連覇をしてS級に特進できました。選手時代は病気との戦いでしたが、競輪選手で良かったと思っています。弟も競輪選手だったので、一緒に練習したこともいい思い出です。

引退を考えたきっかけや引退された時期は?


肝機能の状態は悪くなるばかりで、病院の先生からも練習量について制限を受けるようになりました。たまたま実家の前に住んでいる医師の方とお話する機会があり「それなら、開院をするので力になってほしい」と声をかけて頂きました。そこから、2年ほど経った時に再度 「どうしても力を貸してほしい」とご要望いただき、自分としては点数がなくなるまで走り続けたい思いはありましたが、体のこともあったので、51歳で引退をしてお世話になることにしました。


お誘い頂いた病院で、どんなお仕事をされたのですか?


仕事は先生方のサポートや受付業務、送迎など様々でした。予約が取れないほど混雑する病院でしたので、とにかく忙しく、休日は体を休ませることが最優先でした。


起業をしようと思ったのは、なぜですか?


そうですね、自分の休みは何のためにあるんだろうか?と考えるようになり、社会で働くことは大変なんだなぁ、やっぱり僕には無理なんではないだろうかという気持ちが芽生え始めて、選手時代から馴染みがある整体を60歳になったら始めようと考えていました。

60歳から起業とお聞きしましたが、実際のタイミングは?


一般社会では定年が60歳なので、私もその年齢になったらと考えていましたが、子供たちが大学卒業や結婚するなど、親の責任が終わったと感じた53歳の時に、妻に相談して起業しました。今思えば、若いうちから初めて良かったと思っています。60歳からでは、今のような技術を習得することができなかったと思うので。


開業のための物件探しは、ご苦労されましたか?


始めからここ(実家2階)で開業しようと思っていました。街中にお店を構えると家賃も発生しますからね。同級生たちには「こんな人通りのないところで商売ができるのか」と言われたのですが、広告代理店の方からは「かえってこういう所の方がいいんですよ」と言っていただきました。今はSNSで情報が収集できるからでしょうか。


このお仕事のやりがいは?


アスリートの方たちから、体の動きや成績が良くなったと言われたり、一般のお客様でしたら、痛みや施術した箇所が楽に動かせるようになったなど、感謝の言葉を言っていただいた時に、こんな幸せな仕事はないなと思います。競輪と一緒ですよね。

最後にこれからセカンドキャリアを考える後輩たちへアドバイスをお願い致します。


自分のことですが、選手時代の僕は自分自身に選手としての限界を作ってしまったんです。限界を作ったことで成長が止まってしまいました。でも、あるきっかけでチャレンジ精神を持つことや目標を高く持つことが大事だと気づきました。そのことで練習にも変化があったのでしょうか成績も伸びました。ですので、選手として、ご自身に限界を作らずにチャレンジしてください。その志が今後の人生においても役立つ何かに繋がっていくと思います。セカンドキャリアでは、自分が人に必要とされることをやっていくことが大事だと思います。やってよかったなと思える仕事を探して、今月も頑張ったなと思えるようになれたらいいんじゃないかな。

インタビューを終えて


川口さんの温かく落ち着いた話し声は、患者さまの心と体を癒す力があると強く感じました。長年の競輪選手生活で培われた高い集中力と常に新しいことに挑戦する姿勢は、現在の整体の技術にも確実に活かされていると感じます。

「ご自身に限界を作らずにチャレンジしてください」という川口さんのアドバイスは、どんな困難な状況に直面しても自分自身を信じ、目標に向かって進んでいくことの大切さを改めて考えさせられました。

掲載日:2024年10月15日