
武雄市の会計年度任用職員として「たけお競輪」を支える元競輪選手!
競輪という厳しい勝負の世界に身を置き、情熱をもって挑み続けた重富公輔さん。
彼の物語は、単なる勝負の結果にとどまらず、その中で培った忍耐力や精神力が、いかにしてセカンドキャリアへと導いたかのを教えてくれます。
選手時代の輝きを胸に、たけお競輪場で第二の人生を謳歌する重富さんの想いとは?
◆重富 公輔さんのプロフィール◆
1999年8月 24歳で競輪選手としてデビュー 83期・佐賀所属
通算成績は172勝、優勝8回、選手生活23年を経て、2022年に47歳で引退。
現在は、武雄市の会計年度任用職員として「たけお競輪場」でご活躍されています。
◆企業情報◆

―――まずは、選手時代の思い出をお聞かせください。
競輪選手を目指したきっかけは、父親が選手だった影響が大きいと思います。高校まではサッカーをやってまして、自転車はそのあとですね。
現役時代、選手として活躍できたかと言われたら、自分の理想には程遠く、思ったような成績は残せませんでした。
それでも、日頃の練習を積み重ねていくことが好きだったので、辛いことも多かったんですけど、なんか練習のことばっかりが思い浮かびます(笑)
―――現役時代の目標や理想は?
競輪選手になったからには、やはりS級での活躍、そして優勝と、思い描いていたんですけど勝負の世界は厳しい・・と現実を突きつけられた感じでしたね。
それでも23年間続けてこられたのは、一度も骨折とか大きな怪我をしたことがなかったからだと思います。結構、落車はしましたけど、ある時、医者に普通の人より骨太みたいですねってレントゲン見ながら言われたことがあります(笑)あとは、日頃の積み重ねでしょうか。
―――引退を意識しだしたのは?
それが・・現役の時は一切考えたことはなかったんですよ。周りの話も耳にはしますけど、そんなに意識していませんでした。それよりも好きな競輪選手を1日でも長く続けられるように集中しようという意識が強かった。選手は選手で集中して、その後のことは引退してから考えようかなと。
代謝制度で強制引退になった時、ようやく受け入れるしかないなという気持ちに。理想を叶えることはできませんでしたが、自分の中では完全燃焼、最後は清々しい気持ちで引退を迎えることができました。

―――将来への不安はありませんでしたか?
なんでしょう、焦りもなかったですし、次の仕事に対しての不安も別になかったですし・・。なるようになるだろうとしか思ってなかった。ただ漠然とですけど(笑)
―――どんな活動をいつ頃から始めましたか?
言っていいものかどうかわかりませんけど、まぁ何もしない(笑)
現役の時に出来なかったこと、旅行に行くとか、そういうことはしたんですけど。次の仕事に繋がるようなことは一切しなかったですね(笑)
無理に自分から探しに行ったら、うまくいかない気がして。来る時が来れば、なにか話が来るだろうと漠然とですが思っていました。なので引退直後は、家族の理解もあり、ちょっとゆっくりさせて頂いた感じです。
―――今の仕事に巡り合ったいきさつは?
もともと武雄市の方でお世話になっていた先輩がいたんですが、その人が退職するというタイミングでその後を引き継いでもらえませんかっていうありがたいお話を頂きまして。タイミングでしたね、これも縁だなって思いました。
引退直後は、自転車からちょっと離れたいなって思いもあったのでゆっくりしてたんですが、そうやって過ごす時間が長くなるにつれて、競輪界のことが逆に気になりだしたんです。自分の中で競輪界(たけお競輪場)に何か恩返しが出来ないかなって思っていた矢先、その話が来たんですよ。多分もう少し早い段階で来てたら、ひょっとしたら断ってたかもしれないですね。
―――仮に声が掛からなかったとして、他に考えていた仕事は?
漠然とですけど、自転車関係でなにか出来ないかと考えてました。
武雄市内の自転車屋が減ってきているというのもありましたし、大型スポーツ店みたいなところも近くにはないので。自分がイメージしていたのは、少しお高めのロードバイクとか、マウンテンバイクとか、自転車を趣味とする人たちが欲しがるようなものを取り扱う自転車屋が出来ないかなとは考えてたりしていました。
カフェを併設したりとか、いろいろイメージしてたんですけど、実現するまでに至らなかったですね。

―――今、具体的にどのようなお仕事を担当されていますか?
私がやっているのは、主に投票所の業務。投票時以外では、基本的に施設(競輪場)内の不具合対応ですね。自分で出来るものは直したり、あとは、草刈りや芝刈りなど、出来ることは何でもしますよ。お客様のためになることがあれば、なんでもやります。
実況中継で、たけお競輪場が画面に映るじゃないですか。それを全国の方々が視聴するわけですから、恥ずかしくないように入念に芝刈りや草むしりをする。そういうところにも気を配りながら仕事に取り組んでいます。
―――仕事のやりがいや日頃から心掛けていることは?
ファンの方々に喜んでもらうため、少しでも業界や競輪場の力になりたいですね。
あとは、自分も全国の競輪場に行ってましたので、やっぱり綺麗にしてあったら気持ちいいじゃないですか。だから少しでも綺麗にすることで、参加してくれる選手の皆さんが気持ちよく過ごしてくれるといいなと思って日々働いています!
―――引退後に後悔しないよう後輩選手の方々にひとこと
私自身、現役時代は何も考えていなかったので恐縮なのですが、
競輪選手という仕事は、もしかしたら、長く活躍できる仕事じゃないじゃないかもしれません。
なので、後悔の無いように常に向上心を持って、しっかり練習してください。
それに加えて、自分が楽しめる時間っていうのも大事、ぜひそういう時間も作ってください。
そして、自分へのご褒美もお忘れなく。選手として頑張り、そうじゃない時間は大いに楽しむ。
それがやりがいや、ハリになり、後悔を残さないための秘訣ではないでしょうか。
最後にひとつ言えることがあるとすれば、
例えば全国の競輪場に行ったり、暑い中や寒い中で必死に練習したりとか、そういう競輪選手としての経験で、精神鍛錬などもある程度出来ていると思うんです。なので、社会に出てもある程度の仕事はこなせるのではないかと思います。自分もそんなに多く仕事を経験したわけではないんですけど、大概のことは出来るんじゃないかな?それくらい競輪選手というのは大変な仕事なんじゃないかと思っています。

取材を終えて―――
今回の取材で感じたのは、勝敗だけでなく、心に残る深い経験が、その人の人生をより豊かにするということでした。
重富さんのお話しからは、現役時代の全力での挑戦が、引退後の人生においても確固たる土台となっていることが伝わってきました。笑顔で「後悔はない」と爽やかに言い切る姿がとても印象的で、そこには競輪選手として多くの逆境を乗り越えてきた紳士の姿がありました。
その真っ向勝負で真摯に取り組む姿勢が多くの人に響き、そんな重富さんだからこそ、お声が掛かるほどに人望が厚いのではないかと感じました。
これからもその持ち前のエネルギーと「競輪愛」で、地域やファンの皆様に笑顔を届け続けてくれることを願っています。
掲載日:2024年10月18日
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